とはいえ、私も大人になって自分の歪みを知るたびに「あいつのせいだ」と憎み、一度は復讐しようとしたことがあります。が、返り討ちにあい、水風呂に顔を押し付けられて溺れかけ、逆に教育費という理由で200万円払うはめになり……。身も心もボロボロになりました。病気で弱っていたら最期に「ごめん」って言うかもしれませんが、何十年という苦しみの歴史をその一言で無しにされたら逆にムカつきますし、言われたら許さなきゃいけなくなっちゃうじゃないですか。

 それにこっちはフラッシュバックや歪んだ考え方、あらゆるモヤモヤとこれからも一緒に生きていかないといけないんです。こういったことはもう許す・許さないの問題ではないので、気持ちの整理は親とではなく、1人でするものだと腹をくくった方が楽です。憎しみも含めて、父の存在にしばられないこと。心を乱されず、自分をフラットにして生きていく選択をすることに親の同意や共感、謝罪は必要ありません。

『虐待父がようやく死んだ』(あらいぴろよ著、竹書房)、第18話「愛されたかった?」より一部抜粋
『虐待父がようやく死んだ』(あらいぴろよ著、竹書房)、第18話「愛されたかった?」より一部抜粋

――父親の死を前に、母親が「女」だったことに気付き、見方が変わっていくところも興味深かったです。

 母のことは幼い頃から、聖母のように神格化していました。体を張って私のことを守ってくれるんだから、と。あれはもう崇拝ですね。私は「お母さん教」と呼んでます。

 ただ、今にして思うと、確かに父親の暴力からは守ってくれたけど、DVなんて子どもに見せるものじゃない。しかも週に3~4回、ひどいときは毎日。結局大人になってから6つ上の兄(長男)から当時の記憶が抜け落ちていることを打ち明けられ、兄妹3人ともPTSDを抱え不眠に悩んでいることを知りました。それで本当に「子どもを守った」と言えるんでしょうか。

 母は父と別れない理由を「お金のため」と言っていたので、私達兄妹は生活のために母を犠牲にしてしまったという罪悪感をずっと背負っていました。兄は就職後、母を心配して「一緒に暮らそう」と説得していましたが、母は「迷惑かけるわけにはいかない」と受け入れませんでした。恩返しすることも叶わず、私達はますます強い罪悪感に縛られ、お母さん教から抜け出せなくなっていきました。

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本当の理由は「お父さんが好き」 母もクソだったと知った瞬間