列車名は「洋と和の融合」から JR西日本・山陰本線快速「◯◯のはなし」
連載70 櫻井寛のぞっこん鉄道 麗しき名列車

日本海に最も接近する場所の一つ、湯玉─小串間を行く快速「〇〇のはなし」。列車はキハ47形ディーゼルカーによる2両編成で、2両別々のデザインが施されている。グリーン色の車両は1号車でコンセプトは「西洋が憧れる日本(和)」。インテリアには白木と畳が多用され和モダンを演出している。エンジ色の2号車は「西洋に憧れた日本(洋)」がテーマで、赤革シートにれんが模様の壁面など洋風を醸し出している■オリンパスOM―D E―M1 MarkII・12~100ミリF4・絞りf5.6・ISO200・AE・-0.7補正・JPEGスーパーファイン(撮影/櫻井寛)
【エンジ色の車体に夏みかんの花とハマユウをあしらった2号車はこちら】
1929(昭和4)年、国鉄で初めて愛称が与えられた列車は、東京─下関間を走る特急「富士」と「櫻」で、翌30年には「燕」が登場した。以来、今日まで列車の愛称といえば、花鳥風月が一般的だったのだが、最近、驚くべき愛称の列車が増えている。山陰本線の快速「◯◯のはなし」もその一つ。そのままクイズになるような列車名だが、いったい、どんな「はなし」があるのだろう?
調べてみれば、この「はなし」は、ストーリーの意味ではなく、山口県の萩(は)、長門(な)、下関(し)を結ぶ列車とのこと。なるほど、そういう「はなし」だったのかと膝をたたき、明治維新の人傑を多数輩出した城下町、萩に向かった。
明治維新の長州といえば、吉田松陰、伊藤博文、木戸孝允らを思い出すが、こと鉄道界では初代鉄道頭(長官)の井上勝が萩出身で、萩駅前にはスコップを手にする「井上勝志気像」が立つ。いまや世界屈指の鉄道国となった日本の「鉄道の父」なのだ。

エンジ色の車体に夏みかんの花とハマユウをあしらった2号車を先頭に仙崎湾を行く快速「〇〇のはなし」。長門三隅─長門市間で撮影。列車背後の島影は江戸時代から明治末期まで沿岸捕鯨で栄えた青海島。島の寺には鯨の墓も残る。なお、夏みかんは萩市の果樹で、天然記念物の夏みかん原木は青海島にある。ハマユウは下関市の花■オリンパスOM-D E-M1 MarkII・12~100ミリF4・絞りf5.6・ISO800・AE・-0.3補正・JPEGスーパーファイン(撮影/櫻井寛)

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