木村伊兵衛 社外アルバイトで食いつないだ1954年

連載29 木村伊兵衛の「傑作が生まれる瞬間」

アサヒカメラ

2019/11/06 11:30

 1954(昭和29)年は木村伊兵衛にとって生活面で厳しい年であった。勤めていたサンニュース社の週刊サンニュースが49年4月で廃刊が決定。会社にとどまり顧問になったものの給料の遅配が続く会社であった。アルス社発行の月刊誌「カメラ」で「新東京アルバム」の連載を受けるなど社外でのアルバイトに精を出さざるをえなかった。この年には月島や越中島界隈にしばしば出かけており、本誌連載の4回目「月島の紙芝居」も、5回目の「巡業芝居の一座」も、渋谷の作品もこの頃の傑作である。

あわせて読みたい

  • 木村伊兵衛が出合い頭で撮った「大阪商人の姿」

    木村伊兵衛が出合い頭で撮った「大阪商人の姿」

    dot.

    7/24

    木村伊兵衛が撮った洗濯物干し場から見える「バブル」

    木村伊兵衛が撮った洗濯物干し場から見える「バブル」

    dot.

    5/9

  • 木村伊兵衛が写した漁師町「佃島」の生活風景

    木村伊兵衛が写した漁師町「佃島」の生活風景

    dot.

    6/30

    木村伊兵衛が春の京都で見た「友禅流し」

    木村伊兵衛が春の京都で見た「友禅流し」

    dot.

    7/1

  • 木村伊兵衛が写し出す「正月の浅草」

    木村伊兵衛が写し出す「正月の浅草」

    dot.

    1/26

別の視点で考える

特集をすべて見る

この人と一緒に考える

コラムをすべて見る

カテゴリから探す