渋谷(1954年4月)
渋谷(1954年4月)

 1954(昭和29)年は木村伊兵衛にとって生活面で厳しい年であった。勤めていたサンニュース社の週刊サンニュースが49年4月で廃刊が決定。会社にとどまり顧問になったものの給料の遅配が続く会社であった。アルス社発行の月刊誌「カメラ」で「新東京アルバム」の連載を受けるなど社外でのアルバイトに精を出さざるをえなかった。この年には月島や越中島界隈にしばしば出かけており、本誌連載の4回目「月島の紙芝居」も、5回目の「巡業芝居の一座」も、渋谷の作品もこの頃の傑作である。

 木村は渋谷ではこの1本しか撮っていない。渋谷の飲み屋街、飯屋街の細い路地を回り、人々の暮らしを撮ろうと歩くが、昼間の飲み屋街は休眠状態で通過する人ばかり。被写体になる光景は発見できなかった。フィルムの最後になり、やっと店を掃除にきた女性が店から椅子を出して掃除を始めた。そしてヒョイと店の中から顔を出したところに木村が現れ2コマシャッターを切った。ほんの一瞬の出来事だったと思う。そこには乾いた昼中の飲み屋街、夜のドラマとは全く異なる光景が写し取られている。

選・文=田沼武能(たぬま・たけよし)
1929年、東京・浅草生まれ。49年サンニュースフォトス入社と同時に、木村伊兵衛氏に師事。アメリカのタイム・ライフ社との契約を経て72年に独立。日本写真家協会の会長を20年間務め、現在、日本写真著作権協会会長。

※『アサヒカメラ』2019年10月号より抜粋