モノクロは奥に 潜むものが見えてくる

 私が写真と出合った時代は自然風景をカラーで撮る人はまれでしたが、いまは逆にモノクロで撮る人はきわめて少なくなりました。特にプロではそうです。でも、モノクロにはモノクロでしか表現できない世界があります。モノクロにはモノクロのよさがある。

 プロの仕事としてはメッセージを写し込み、それを見る人に伝えなくてはなりません。私にとって、カラーはドキュメント的なテーマに向いています。森山大道さんが「写真は記録である」と言うように、記録は時代と親密な関係にあります。そこから離れたら写真のリアリティーは希薄になってしまいます。「熱帯雨林」や「森林列島」のような環境問題も微妙に絡んでいるテーマでは、私の社会に対してのメッセージが大切で、カラーのほうが理解されやすく有利であると考えました。しかしカラーも現実離れした派手な発色は色がないと同じです。色がやたらにあればいい、というものでは決してありません。

 一方、モノクロの写真には心象を織り込みやすい。品格があり、音が聞こえてくるような写真が私の理想です。空間の無限の広がりがあり、奥に潜むものが見えてくる、心に響いてくる美しさがある。

「美しい」とはどういうことか。これはなかなか難しいことですが、それを考えることは風景写真を考え、風景を撮っていくうえで非常に大切なことです。美しい姿、形、色彩といったものだけではなく、自然は多様なところが美しいのです。山を登っていると山のボリュームある存在感に圧倒され、激しい自然の移り変わりに出合います。そんなときに一瞬見せる自然の素顔ともいえるリズムや緊張感に触れ、心を動かされることがあります。はかなさもあります。わび・さび、といった日本人特有の伝統的な美意識にもつながってきます。

色がないからこそ 強い写真に

 現実を写し取る写真、自然の造形をモノクロで撮るときは「どういうプリントに仕上げようか」という意識が先行します。露出でも「この影は黒くなる。ここを全部、省略してやろう」などと考えます。色がないからこそ、より強い写真になる。自分の考えをシンプルにストレートに明解に伝えられます。

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プレゼントはすべてモノクロ