銀座二丁目停留所付近で撮影したPCC車。日本でたった1両しかなかったため、貴重な瞬間だった(撮影/諸河久:1963年8月20日)
銀座二丁目停留所付近で撮影したPCC車。日本でたった1両しかなかったため、貴重な瞬間だった(撮影/諸河久:1963年8月20日)

 2020年のオリンピックに向けて、東京は変化を続けている。同じく、前回の1964年の東京五輪でも街は大きく変貌し、世界が視線を注ぐTOKYOへと移り変わった。その1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は特別編として、銀座二丁目停留所付近に停車している都電車両にスポットを当てる。当時「最高の性能」と謳われ、退役後もレジェンドになっている「PCC車」への追想だ。

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 写真の東京都電5500型5501は日本で唯一無二の「PCC車」の直系で、アメリカ・ウエスチングハウス社の特許を購入して1954年に登場した。

 このPCCとは「Presidents Conference Committee」の頭文字をとったもので、アメリカの路面電車会社の社長会が、氾濫する自動車に対抗して1929年に結成した委員会のことを指す。この委員会は、自動車以上の性能と経済性を備えた路面電車の研究を重ね、1936年に第一号車がワシントンにデビューした。流線型の車体、高性能モーターや超多段式コントローラー等の採用により、自動車に負けない高加減速運転ができる高性能路面電車が完成した。この高性能車は「PCC車」と呼称され、全米で5000両以上が生産された。

 日本では東京都交通局が第二次大戦後に高性能路面電車の研究に着手。1952年に特許料を支払って国内メーカーでPCC車を製造することになり、前述の5501が誕生した。ただ、当時の路面電車は「質より量」の時代であり、製造コストがかさむ高性能車は敬遠されたためか、直系のPCC車はこの1両のみで終わった。その後、PCC車の車体デザインを模した車両が後継として製造されたものの、凡庸な性能だった。

 5500型は1953年から1955年にかけて7両がナニワ工機で製造された。直系のPCC車の前後に、国産の最新機器を搭載した準高性能車が6両増備された。車体の大きさが在来車よりも大きいことと、当初5501はコントローラーとブレーキが足踏みペダル式という特殊な構造であったため、5501~5507の全車が三田車庫に配置。都電の花形路線である銀座を走る1系統(品川駅前~上野駅前)専用車として運用された。

撮影当時の銀座界隈路線図。銀座1系統は、まさに花形路線だった(資料提供/東京都交通局)
撮影当時の銀座界隈路線図。銀座1系統は、まさに花形路線だった(資料提供/東京都交通局)

 5500型が活躍した時代の銀座二丁目界隈は、今に劣らぬ繁華な街角だった。写真に写っている銀座二丁目停留所の東側には金ぷらの「大新」があった。明治年間創業の老舗で、「ころもが黄金色に輝いている天ぷら」が売り物だった。

 銀座二丁目の角には西銀座の高級キャバレー「クラウン」の姉妹店「キャバレー・クインビー」が盛業していた。高級感の割には廉価で楽しめたため、サラリーマンには人気だった。1971年10月には、クインビーの跡地に名古屋から進出した「東京メルサ(現・メルサ銀座2丁目店」が開店。女性客向けのおしゃれな百貨店として人気となった。

 その二軒南隣の二階にファミリーレストランの嚆矢(こうし)といえる「オリンピックレストラン」があった。親御さんに連れられて「オリンピック」に行き、美味しい洋食に舌鼓を打った年少時代を思い出される人も多いはずだ。

 この写真は銀座二丁目停留所付近を西側の歩道から撮影。発車待ちしている1系統品川駅前行きに充当された5501「PCC車」が昼下がりの陽光の中で輝いていた。

 なお、5500型の一党は「銀座通り」を走る都電の廃止と同時に退役した。最終日の1967年12月9日に運転された「さよならパレード」がその見納めであった。5501は解体を免れて上野動物園の片隅に展示保存されていたが、雨ざらしの保存環境により、1980年代にはかなり荒廃してしまった。 2007年、都電荒川線・荒川車庫前に開園した「都電おもいで広場」に修復を受けた5501が展示保存された。入場料は無料で、かつて銀座を走った「PCC車」の雄姿を鑑賞することができる。

 日本にたった1両しかない「PCC車」は、路面電車ファンにとって憧れの存在だったのだ。

■撮影:1963年8月20日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など多数。9月には軽便鉄道に特化した作品展「軽便風土記」をJCIIフォトサロン(東京都千代田区)にて開催予定。        

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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