流暢な語り口でテレビ番組の司会者などとして活躍した
流暢な語り口でテレビ番組の司会者などとして活躍した

 元タレントの上岡龍太郎さんが5月19日、肺がんと間質性肺炎のため死去した。81歳だった。

 上岡さんは1942年、京都市生まれ。60年に横山パンチの芸名で、横山ノックさん、横山フックさんと「漫画トリオ」を結成。68年に解散後は、流暢な語り口でテレビ番組の司会者などとして活躍した。

 2000年に芸能界を引退した後は、表舞台にはほとんど表れなかった。週刊朝日は2003年9月、独占インタビューを掲載。当時のインタビューから上岡さんの人生を振り返る。

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 早いもんで、隠居してから3年ですか。遊んで暮らすのは、これでなかなか忙しいもんでしてね。

 歌舞伎、お芝居、落語。神戸ポートアイランドにサザンオールスターズを見に行って、それから比叡山延暦寺の薪歌舞伎は、しつらえがよかったなあ。芝居では風間杜夫の「風のなごり―越中おわら風の盆」。舞台であれだけ三味線弾けるのは、大変なことです。

 ゴルフは週に平均3回。9月は、マウイ島でマラソンするので、ジョギングもせなあかんでしょう。夜は女房とカラオケです。

 現役時代は街を歩いていても、目で殺すという技術を持ってたんです。声をかけられそうになると、話しかけたらあかんよお、機嫌わるなるよお、いう電波を目で送ってた。いまはだいぶ楽になってきまして、心斎橋なんか歩いても、若い子はもう僕のこと知らんね。にこにこしながら歩けるようになりました。

 隠居がこんなにたのしいとは、思いもよらなかったですね。仕事に戻りたい気持ちは、こっから先もないですもん。ましてや大阪市長選に出るんやないかとか、参議院やとか言われるでしょう。とんでもない話で。こんな楽な生活送ってんのに、なんでいまさら責任のある、しんどいことせないかんのかと思う。

 隠居のための蓄財ですか?

 そらゼロではダメでしょう。でも周り見るとね、ほとんどの人は、たのしい隠居暮らしができるんやないかと思いますよ。

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