つまり「退化」は、「進化」の一種なんです。だとすると、「進化」の本来の対義語はなんでしょうか? 考えられるのは「停滞」や「不変」「不易」などです。環境が変化しているのに、適応しない、変化しない、そういう状態を指す言葉のほうがしっくりきます。
ではなぜ、ぼくたちは瞬発的に「退化」だと思ってしまったのでしょうか? そこには、ぼくたちの自由な思考を邪魔しているあるものが関係しています。
その代表が教科書です。国語の教科書や資料集などで、「進化」の対義語は「退化」だと習っているんですね。しかし、そもそも「進化」というのはダーウィンの『進化論』が日本に紹介された際につくられた生物学の造語です。
それを、なぜか国語という教科のなかで、深く考えずに覚え込んでしまっているのです。国語のテストで「進化」の対義語を「停滞」と解答すればバツになってしまいます。学校の影響力というのは案外大きいもので、この問いを理科を教えている先生にしてみても、「退化」と答える人が多いのです。
では、改めて前提を整理して「進化」の対義語を考えると、「国語においては退化で、生物学においては停滞や不変」ということになります。前提が変われば当然、答えも変わる可能性があるわけです。そういう視点を持っておくことも、さまざまな分野をつなげて学ぶリベラルアーツの基礎だといえます。
もうすこし考えてみましょう。
「平和」の対義語はなんでしょうか? 国語の教科書的には「戦争」です。でも「平和」はもっと広い、社会的なテーマですね。世界平和を目指す最も大きな組織の一つ国際連合は、「戦争」「紛争」はもちろん、「貧困」や「格差」、「差別」や「植民地」をなくすことを目的としています。つまり、それらはすべて「平和」の対義語だといえそうです。
もちろん、もっと身の回りに目を向けて、「いじめ」や「虐待」、「犯罪」や「事故」などもそうですね。戦後、日本国憲法やいまの教科書のもとができたころには、誰もが「戦争」状態でないことこそが「平和」だ、という感覚だったことは想像できますが、時代によっても対義語は変わっていく可能性があります。