スタンフォードで行ったシリコンバレーと日本を結ぶサミット
スタンフォードで行ったシリコンバレーと日本を結ぶサミット

 シリコンバレー在住の同氏はシリコンバレーとカリフォルニア、ワシントンDCの連携を大幅に強化する必要性を感じていた。カーネギーは世界中に作った拠点(デリー、ブリュッセル、ベイルート、北京、そして2022年にプーチン政権に閉じられるまで存在したモスクワベルリンで再構築など)で、それぞれ独立性をもちながら各国の政府や財界、オピニオンリーダーにインプットを提供して国際的なプロジェクトを進めるのが特色であるシリコンバレーの重要性は増す一方だという構想を掲げていた。

 同じアメリカ国内でも首都のワシントンDCからは物理的な距離だけではなく、文化、社会、政治力学などが遠いカリフォルニアは、なによりもシリコンバレー・エコシステムが生み出す新しい技術や経済のダイナミズムがアメリカにも大きな影響を与えている。それがゆえに、グローバルなシンクタンクとしてワシントンとは別の視点をもつシリコンバレーの拠点が必要であるというビジョンである。

 カーネギーのアジア担当のディレクターは、スタンフォードで政治学博士を習得してからアメリカ国務省や元アメリカ財務長官のヘンリ・ポールソンのシンクタンク・財団を立ち上げた人物で、従来のワシントンのシンクタンクがフォーカスしていた国防や国際政治、外交から舵を切って、テクノロジーを中心にチームを強化する方針をとっていた。

 彼から著者へのオファーは、イノベーションや技術を中心に新しく日本プログラムを作り変えるというもので、シリコンバレーから率いて他のだれにも作れないユニークで価値があるものを作るチャンスだった。しかも、まだ40代半ばに差し掛かる前の自分にとってシニアフェローというきわめて自由度が高いポジションは魅力的だった(髪が黒いうちの「シニア」である)。

 ダメ押しは、カーネギーのシリコンバレー拠点はスタートアップに近い形であり、数百人の組織全体のプレジデントであるクエヤール氏と私がカーネギーのシリコンバレーオフィスの初期メンバーであり、新しい組織作りにゼロベースから立ち合うことができた。今までの日本とシリコンバレーをつなげる活動と学術的アウトプットに加え、アメリカの政権の中核であるワシントンDCとシリコンバレーをつなぎ、日本とワシントンもシリコンバレー独自の切り口で関係を強化し、カーネギーが展開する他のグローバル拠点にも日本やシリコンバレーを結ぶ。自分の給料を含めた資金集めをしなくてはいけないポジションだが、絶対にやるべきだと思ってスタンフォードの研究職を後にした。

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カーネギーの新生日本プログラムが日本に対して持つ問題意識とは?