もちろん、電鉄系の百貨店は客単価の高い優良顧客を増やそうと、開拓に力を入れてきた。

 しかし、昔からの名家はすでに呉服系百貨店に囲い込まれている。富裕層が持つ外商口座は祖母や母親の代から受け継がれてきたものが多く、電鉄系百貨店が外商にかじを切ってもなかなか厳しいのだ。

 コロナ禍で赤字に沈んだ百貨店のなかでも最近は呉服系百貨店が黒字に転じた一方、電鉄系の西武百貨店は赤字を抜け出せず、売却された。そこには百貨店設立にさかのぼる出自が関係しているのかもしれない。

 ただ、電鉄系の百貨店が街のブランドイメージとして寄与していたことは否定できない。昨年12月、東京・池袋の西武池袋本店の低層階に大型家電量販店「ヨドバシカメラ」が出店することに対し、東京都豊島区の高野之夫区長が反対の姿勢を示したことも記憶に新しい。「文化の街の土壌が喪失してしまうのではないか」と区長は主張するが、それほど電鉄系の百貨店が街づくりに与えてきたイメージは大きいといえる。

薄れゆくバイヤーの目利き

 では、呉服系百貨店が安泰か、というと、まったくそうではない。

 その原因をひと言でいうと、百貨店の「バイイング機能」の低下である。その結果、店に並ぶ商品がキラキラしたものではなくなり、文化発信地でもなくなっている。売り場から百貨店の主張が薄れると、商品を眺め、購入する楽しみも薄れた。

 かつて、どの百貨店も品ぞろえの独自性を競い合った。バイヤーの目利きで優れた商品を仕入れ、客もそれに目を輝かせた。

 ところが、バブル経済の崩壊がそれを一変させた。

人々の所得は伸び悩むようになり、百貨店の収益も悪化すると、各社は起死回生のさまざまな策を練った――「自主編集(委託商品ではなく買い取り商品を置く)売り場」を拡充してバイイング機能の強化に動いた百貨店。「デパ地下食品」に力を入れた百貨店。ミセス服に力を入れた百貨店。ティーン服の売り場を充実させて母娘の買い物客をねらった百貨店。そして、商品を仕入れるのではなく、それを販売する場所を貸す「賃貸業」として割り切った百貨店。

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