80年代には霊感商法が大々的に報じられた(写真は朝日ジャーナル1987年1月30日号)
80年代には霊感商法が大々的に報じられた(写真は朝日ジャーナル1987年1月30日号)

 竹迫さん自身も大学生となったものの、日大にはまったく通わず、統一教会の活動に専念した。

 その後参加した合宿では毎朝、空手の訓練が行われた。「いずれ、第3次世界大戦が起こる」という理由で、参加者は30人弱。ほとんどは20代だった。「1人1殺」と言われて、いきなり殴り合いのような訓練をした。

得意の「トカゲの尻尾切り」

 一方、竹迫さんの両親はなんとか息子を旧統一教会から連れ戻そう必死に動き始める。

 困った竹迫さんが幹部に相談すると、「それはあなたの問題だ。あなたの責任で解決しなさい」と冷たく言った。「要するに旧統一教会お得意の『トカゲの尻尾切り』ですよ」と竹迫さんは指摘する。

「面倒な問題が起きると『全部信者が勝手に起こした問題だ。信者の自己責任だ』と言う。今年8月の田中富広会長(世界平和統一家庭連合)の会見もそうでした。いまだに全然変わってないんだな、と」

 夏になると、竹迫さんはハンカチ売りのキャラバン隊の一員として北海道に送り込まれた(記事前編参照)。ところが、雨に濡れた段差で転倒し、足首を骨折。埼玉県にある実家に戻ってきた。

 両親にとっては、旧統一教会から息子を脱会させるチャンスだった。キリスト教の牧師に力を貸してくれるように頼んだ。

 両親の行動に慌てた竹迫さんは「わかった、やめる」と言った。もちろん、出まかせだった。両親を丸め込んで「偽装脱会」を図り、「隠れ原理」として活動するつもりだった。

 ところが牧師は「お前が引き込んだ友だちはどうするんだ? お前だけがやめればいいのか」と、畳み込んだ。仕方なく、竹迫さんは牧師とともに友人メンバーを訪れる羽目となった。

「みんな、ぼくほど深入りしていなかったので、牧師が統一教会の資料を見せると『こんな団体だと思わなかった』と言って、やめちゃったんです」

始まった報復

 その後、事態は思わぬ方向に進んでいく。旧統一教会は「裏切り」と受け止めたのだ。

 すると、報復が始まった。

次のページ
絶え間なくかかってくる無言電話