丸岡いずみさん(撮影/写真映像部・高橋奈緒)
丸岡いずみさん(撮影/写真映像部・高橋奈緒)

 そう話す丸岡さんの表情はとてもおだやかで、息子への深い愛情が伝わってくる。こんなエピソードも紹介してくれた。

「街を一緒に歩いていて『焼き肉いずみ』という店があると、子どもが『あっママのお店みたい』とか言うんですよ(笑)。私がヘルメットをかぶって地震の中継をしていた映像を見せたこともあるんですが、子どもは『あっ、ママだ。ママがテレビに出てる』とはしゃぎつつ、『ママが死ななくてよかった』って……。彼なりにいろいろとわかるみたいです」

 丸岡さんはこうした息子とのコミュニケーションを通じて、離婚後に再び仕事復帰することを決意したという。

「子どもから『ママはニュースが好きなんだね、アナウンサーってすごい』と言われたことで、背中を押されました。その一言があったことで、復帰したいと思うようになりました」

 丸岡さんの名が知られるようになったのは、「情報ライブ ミヤネ屋」のニュースコーナーを担当し、MCの宮根誠司さんとの掛け合いが「面白い」と評判になったことがきっかけだった。宮根さんから困った質問や要求をされ、即座に対応するしぐさが視聴者からウケた。すぐに人気はうなぎ上りとなり、「奇跡の38歳」と呼ばれるなど、4つの番組をかけもち。有名キャスターの仲間入りを果たした。

 2010年3月に報道番組「news every.」のキャスターとなってからも人気を博したが、東日本大震災の報道に携わるなかで心労が重なり、不調をきたすようになってしまう。うつ症状がひどくなったこともあり、結局、11年8月に会社に休職願いを出して長期休養に入った。

 丸岡さんの著書によると、療養中は実家のある徳島県の病院に通い、治療を続けた。最初は薬を飲むのに抵抗があり、こっそり飲まなかったところ、うつ症状がどんどんひどくなり、入院することになったという。入院中は看護師に見張られて薬を飲まざるを得ず、仕方なく飲んだら体調がよくなったなどとつづられていたが、今も薬は飲んでいるのだろうか。

「もう薬は飲んでません。(うつ病は)なかなか再起できない人もいらっしゃるんですが、私は場合はラッキーでした。会社に理解があり、半年間は一切お仕事せずに休養させてもらいました。それがよかったんだと思います。半年でうつ病は寛解しました。睡眠導入剤は眠れない時、少し服用することがありましたが、いわゆるうつのお薬は飲まなくなりました」

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通信制高校の「顧問」に就任した理由