北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表
北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

 00年代のバックラッシュ時の先頭にいた国会議員が安倍さんと、そして山谷えり子さんだった。山谷さんも、旧統一教会の友好団体の新聞「世界日報」に寄稿していたりなど、旧統一教会との関わりの深さが明らかになりつつある。あの時代、山谷さんは安倍さんに寄り添うように、そして安倍さんよりも数倍過激に大きな声で、ジェンダーフリーバッシングを唱えていたことを強烈に覚えているが、あの時代から、そして今もなのだが、「山谷さんってどういう人なの? というか、どうしちゃったの?」という疑問がずっと私にはある。

 だってそもそも山谷さんは00年には民主党議員だったよね……そもそも89年に選挙に初出馬したときは民社党から出て自民党批判してたよね……というか、そもそも山谷えり子さんの「山谷」は旧姓で、ソレをずっと使ってるよね? 昔のアンアンが見せてくれた日本と今の日本が、一本の線ではつながらない不気味な遮断があるように私はずっと感じているのだが、山谷さんの人生にも、その遮断があるような気がしてならない。いったいいつから、山谷さんは、「自民党の極右=山谷えり子」になってしまったのか。

 若い人は知らないと思うが、山谷さんは80年代から90年代にかけて、かなりの有名人だった。900万部発行されていた「サンケイリビング新聞」というフリーペーパーの名物編集者であり、88年に編集長になっている。全国の女性たちの声をつなぐ影響力のあるメディアであり、山谷さんは、ビジネスパーソンとして、辣腕編集者として、母親として、様々なメディアで発信していた。本もたくさん出されていたはずだ。当時、エッセイストとしての山谷えり子さんが出されていた本をアマゾンで探してみたのだが……今の山谷さんとは別人が書かれたかのようなタイトルが並んでいて驚く。

『女の子のシークレット・ブック―そっと教えちゃう 可愛いレディになる方法』 (1978年)『失敗しないオトコ選び』(1980)『別居結婚を実行してみたら…』 (1980)『嫁姑合戦えり子の場合』(1983)『山谷えり子の手作り料理おもしろレシピ』(1984)『女の子のひみつノート―えり子の青春カウンセリング』(1985)『レディになるための魅力講座―目に見えて! センス・アップ』(1986)『MARKETING 女ごころを掴まえて―女の時代のビジネス・ヒント、アイデアが一杯』(1990)『 ティアラの輝くとき』(1994)……。

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山谷えり子さんの発信