安倍晋三元首相が凶弾に倒れた前代未聞の事件の余波がいまだ収まらない。自民党重鎮だった安倍氏の死去により、政界のパワーバランスも大きく変わるかもしれない。過去に安倍氏と連携姿勢をみせていたのが「大阪維新の会」(以下、維新)。安倍氏は2012年秋の自民党総裁選を機に維新と親交を深め、連携に意欲をみせていた。また菅義偉前首相も同様に、維新へは思い入れがあった。元首相二人と維新の蜜月とは何だったのか。朝日新書『自民党の魔力』(蔵前勝久著)から、一部を抜粋して解説する。(文中の肩書は当時のもの)

【写真】安倍晋三氏の自民党離党を画策したとされる維新幹部はこの人

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 全国を見渡せば「自民1強」状態で、理想とした「二大政党制」とはほど遠い状況である。しかし、大阪は二大政党が競い合う状況である。大阪限定のこの現象の発端は、大阪府知事だった橋下徹氏が掲げた「都構想」をめぐる大阪自民の分裂だった。2010年秋、橋下知事が代表を務める地域政党「大阪維新の会」に参加するため、自民党大阪府連所属の府議や大阪市議ら45人が離党。その数は、自民党所属の府議や大阪・堺両市議のおよそ半数を占めた。

 大阪維新の会の幹事長は、自民を離党した松井一郎府議だった。後の大阪府知事、大阪市長である。維新は11年府議選(定数109)のうち過半数の57議席を獲得し、自民の13人を大きく上回った。大阪市議選(定数86)では維新は33人。過半数には届かなかったが、17人だった自民のほぼ倍の議席を得て「市議会第一党」となった。後に日本維新の会の共同代表を務めることになる馬場伸幸氏は、この時の堺市議選で、自民市議から維新に転じて6選し、市議会議長に就いた。

 大阪に維新、自民の二大政党が生じた経緯は、93年の自民分裂の結果、自民党と新進党の二大政党が生まれた状況に似ている。このことを考えれば、やはり自民党分裂でしか、二大政党にはたどり着けないのだろうか、とも思えてしまう。

■現代自民vs.伝統自民

 自民党と維新との関係を考える上で、興味深かったのは、大阪府知事と大阪市長の2015年のダブル選である。大阪で「与党」の維新に、自民が挑戦した構図だが、「現代自民」と「伝統自民」の戦いだったように見えた。

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維新の「出自」は自民党