オイスカ浜松国際の永井浩二監督(画像は筆者提供)
オイスカ浜松国際の永井浩二監督(画像は筆者提供)

 オイスカ浜松国際高(静岡)の新ユニホームは全身パープル(紫色)。白ベースでシンプルなものが主流の高校野球界では異彩を放っている。

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 野球部と学校関係者の未来へ向けたメッセージを込めたユニホーム。今回の変更を全面的に指揮した永井浩二監督に話を聞いた。

「物事を変えるにはパワーが必要です。現状維持では何も変わらないから動くことが大事。紫のユニホームには賛否があるかもしれないけど、まずは変えることにしました」

 本年度からオイスカ高校からオイスカ浜松国際へと校名を変更し、制服等も一新した。タイミングを合わせるように野球部もユニホーム変更に踏み切った。シャツ、パンツ、キャップ、ソックスと全身がスクールカラーである紫色のド派手なものとなった。従来はアイボリーをベースに紫色で校名をあしらったシンプルなものだった。大幅なモデルチェンジには様々な思いが込められ、出来上がるまでには多くの人たちの尽力があった。

「野球部の伝統といっても部ができて10年ほどなので、大きく変わっても問題はない。でも在学中の生徒には名前が変わることに対して複雑な思いをする子もいるかもしれない。紫色のスクールカラーは大切にしつつ今後に向けての仕掛けをしようと思いました」

 少子化が進み学校経営が難しい時代。 何もしないでままでは生徒も減り淘汰されるのは目に見えている。 従来のオイスカの名前に浜松国際という名前をつけたのは昨今、 急速に進む多様性を見据えてのことだ。「時代に即した人材を育てる」という趣旨で大規模な学校改革が行われることとなり、 野球部も動いた。

「当初は従来の高校野球のテイストに紫色をミックスした感じで考えました。白やグレーのベースに紫色のピンストライプ。もしくは白だけど光の加減で紫色っぽく見える感じ。MLBロッキーズなどのイメージで業者さんにいくつかサンプルを作っていただきました」

 永井監督は異色かつ豊富なキャリアの持ち主だ。広島商業、亜細亜大、社会人NKK(現JFE西日本)で捕手としてプレー。プロ入りが叶わず渡米してニューヨーク・メッツのブルペン捕手をつとめた。帰国後ケイ・スポーツクラブでプレーした後に現役引退。06年12月に浜松大(現常葉大浜松)の野球部監督に就任し、19年6月からはオイスカ高(当時の校名)の監督を務めている。

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