岡田有希子さん
岡田有希子さん

「僕はユッコがデビューして間もなくからのファンで、1浪して合格した関西の大学の入学式が4月8日だったんです。受験勉強からようやく解放され、コンサートにも行けるぞ!って意気込んでいた矢先だっただけに、すごくショックでした」

 1983年、名古屋市出身の岡田さんは、当時数々の人気アイドルが輩出したオーディション番組「スター誕生!」(日本テレビ系)で決戦大会まで残り、サンミュージックがスカウトしたのがきっかけで芸能界入りした。同社の初代社長・相澤秀禎氏(故人)が自宅に下宿させたことからも、いかに期待されていたかがわかる。

 デビュー曲「ファースト・デイト」(竹内まりあ作詞・作曲)が発売されたのは84年4月。歌唱力が評価され、“ポスト松田聖子”の呼び声も高かった。

 岡田さんは、デビューして間もない頃、現在の東京ドーム(文京区)の横にあった『後楽園ジャンボプール』の歌謡ショーに出演したことがあった。そのとき司会を務めた芸能リポーターの菊田あや子さん(62)は、当時の岡田さんのことを今でも鮮明に覚えているという。

「小柄で素直な明るい感じの子でした。育ちが良かったんでしょう、きちんとあいさつができてて、とても好印象でした」

 感心したのは、頭の回転の早さだったという。

「中学では学年で一番の成績で、上京するまで通っていたのは地元の進学校だと聞きました。受け答えが上手で、可愛く見せよう、とするのではなく、自然に振る舞える。売れる要素を感じましたね」

 転校した都内の堀越高校同級生には、南野陽子さん、長山洋子さん、本田美奈子さん、桑田靖子さん、田中久美さん、岡田有希子さん、いしのようこさん、宮崎萬純さんら、その後、歌手や女優として活躍するそうそうたる顔ぶれがそろっていた。

 そして、84年は日本レコード大賞最優秀新人賞をはじめ、名だたる歌謡賞の新人賞を獲得。まさにシンデレラガールだった。

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“ユッコシンドローム”と言われるほどの後追い自殺