その時点でも、地震の詳細がまだよく分かってなかったから、両親のことが心配になって、電話をかけようと公衆電話へ向かった。でも、案の定、公衆電話にも長蛇の列ができていた。電話をかけるまで1時間以上は並んだと思う。両親の無事を確認できた時は、すごく安心したのを覚えているよ。
その後は、結局自宅まで歩いて帰宅。家についてからは、なぜか、ぼーっとしたような妙な感覚になった。きっと、あまりの出来事を体験したことで、思考が停止していたんだろうと思う。余震も定期的に発生するような状況だったし。テレビで津波の映像を見た時も、これはもう人間がどうこうできるものではないと痛感した。ほんとうに現実にこんなことが起こるのかって。もうとにかく早く落ち着いてほしいと、ただ祈ることしかできなかった。
数日後、ボクが出演する予定の番組のロケが通常通り行われたのも正直きつかった。たくさんの子どもたちと触れ合うような番組だったんだけど、余震の影響で、ロケ中に怖くて泣き出しちゃう子がたくさんいたんだよね。それに、もし、また大きな地震が起きたりして、子どもたちに何かあったらいけないから、ずっと気を張っていたし、何より日本が大変なことになっているこの状況の中で、普通に仕事していていいのだろうかっていう思いにかられたりもした。「こんな時にやらなくていいじゃん」、そんな風に考えてしまった瞬間は何度もあった。これまでいろんな仕事をしてきたけど、あの時のロケがいちばん複雑な思いでのぞんだ仕事だったかもしれない。
震災関連の番組にいくつか出演して、防災に関しての勉強もさせてもらったこともある。その影響で防災グッズを揃えたり、「お風呂の水をつねに貯めておく」「枕元にスリッパを常備する」などの地震への備えを実践していた時期もあった。でも、今は「お風呂の水をつねに貯めておく」以外は実践できていない。
情けない話だけど、時間が経つにつれ、そういう意識がだんだん薄らいでしまっていることも自覚している。あんなに怖い思いをしたはずなのに、ほんと駄目だよね…。
ある番組で、東北の被災者の方が「震災のことをいつまでも忘れないでほしい」と語っていた言葉が心に強く刺さった。
冒頭でも伝えたように人間は忘れていく生き物。でも、けっして風化させてはいけないものもある。ボクらがこれから最も持続していかなければいけないのは、シンプルに「忘れないこと」なのかもしれない。
被災者の方たちに比べたら、ボクの体験なんて全然大したことはないけど、この連載を読んで、改めて震災について何かを感じることができた人が一人でもいるなら、ボクは嬉しい。
えらそうに聞こえていたらごめんなさい。
でも、ボクはボクなりに、このタイミングだけは、震災のことを何かしら発信し続けていきたいと思う。
ボクの力なんて微々たるものだけど、今日も祈らせてください。
震災にあった全ての方が、一日も早く復興できますように。
(構成/AERA dot.編集部・岡本直也)
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