T-BOLANのボーカル・森友嵐士(撮影/平野タカシ)
T-BOLANのボーカル・森友嵐士(撮影/平野タカシ)

 『離したくはない』『Bye For Now』『マリア』などで1990年代に一世を風靡したロックバンド・T-BOLAN。95年、森友嵐士(56)の原因不明の発声障害のため、人気絶頂の中で活動休止。その後心因性発声障害と診断され、14年ほど歌えない状態が続いていたが、克服して再結成。3月14日には28年ぶりの6枚目のオリジナルアルバム『愛の爆弾=CHERISH ~アインシュタインからの伝言~』をリリースする。長い歳月の中でどのような感情を抱いてきたのか。ボーカルの森友に話を聞いた。

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――アルバムリリースは実に28年ぶり。93年発売の前作『LOOZ』から長い時間が経過しました。

 28年も経っているなんて、衝撃だよね。T-BOLANはデビューから3年半ぐらいしか活動していなくて、俺の歌が止まっていたからね。最後に作った5枚目のアルバムのレコーディングのことや、ツアーのこと、いろんなことを鮮明に覚えてる。今回、28年ぶりにアルバムができて、空白の時間がピュッて無くなったような感じかな。

 ただ、止まっていたような時間の中でも、気づかされることがたくさんあった。28年という時間が無かったらこのアルバムは作れていないし、止まって苦しんでいた時間もその先にちゃんと花を咲かせるんだなと。全部に意味があるんだなと肯定できるようになった。 

――1度目の活動休止の引き金になったのは、95年に発症した心因性発声障害でした。

 宣告された当時はドクターから、「たとえ10年リハビリをやっても歌えるようにならないかも」と言われて、「そんなことはあるはずない」と思って受け入れられなかった。でも、歌を取り戻せない状況のまま別の何かをやっても、自分の火が消えてるような感じで何もできない気がした。それぐらい、俺にとってはシンガーであるということがすべての根源みたいになってしまっていたんだよね。歌を取り戻す以外に選択肢はなかったから、自分の病気ととことん向き合った。14年にも及ぶ話だから、時間軸の中でいろんな感情の移り変わりがあったけれど、今ここにいられる理由はただ一つだよ、あきらめなかったから。 

――2015年にはベースの上野博文さんも、くも膜下出血で約2か月半の間意識不明の状態が続き、「高次脳機能障害」を抱えることになりました。上野さんも森友さんも闘病の末、奇跡の復活を遂げています。

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