リラックスした表情を浮かべる中西麻耶選手(画像=本人提供)
リラックスした表情を浮かべる中西麻耶選手(画像=本人提供)

 2006年に不慮の事故により右足のヒザから下を失うも、義足で陸上競技に挑み続けてきた中西麻耶選手(36)。女子走り幅跳び(義足・機能障害T64)では5m70というアジア記録・日本記録を持ち、昨夏の東京2020パラリンピックでは6位になった。今なお走り続ける不屈のアスリートに、その原動力を聞いた。

【中西麻耶選手の写真をもっと見る】



*  *  *
 まだ記憶に新しい昨夏の東京2020パラリンピック。中西選手は4度目のパラ出場となったが、メダルには届かなかった。前回の16年リオ大会で4位だった走り幅跳びは6位に終わった。

「せっかくのホームゲームだったのに、当日までに自分の中で“盛り上がり”を作れなかった。それが心残りです。(スポーツへの)価値観を問われる大きな大会で、アスリートとしてそれを証明できなかったことが一番辛かった」

「プレッシャーが大好き」と話す彼女は、パラリンピックという舞台をもっと楽しみ、もっとうれしさを爆発させたかったという。

「自国開催だっただけに、もっとみんなと分かち合いたかった。(コロナ禍で)会場に来られなくても、もっともっと身近に感じてほしかったんです。ただ競技をやればいいというのではなく、当日まで、もっとみんなに楽しんでもらえる工夫ができたんじゃないかなと思います。私たちのレベルだと練習で何をすればいいかは大体分かっていて、あとは気持ちを作っていくことが大事になる。プレッシャーに押しつぶされていたわけではないんですが、“みんなで楽しむのがスポーツなんだ”ということを示せなかった悔しさはあります」

 ご存知の通り、同大会は新型コロナウイルスの感染拡大の影響により1年延期されるという異例の状況下で行われた。

「延期が決定した直後はすごくポジティブでした。“ただやるだけ”、“ただ進むだけ”という言葉に、応援してくださるみなさんも『心強く感じた』とか『選手が諦めていないのなら自分たちも応援するのみです』といった声が多かったんですが、その思いを当日までつなげられなかったですね。周りを見ても『“応援してください”って頼んでいいのかな?』と迷っている選手がいましたし、私自身も『本当は表立って応援したいんだけど、このご時世だからできなくてゴメンね』といった声をたくさん頂きました。ファンの方や応援してくださる方が素直な気持ちを発信できなかったというのは、そういう雰囲気作りをできていなかったからだと思うし、それに関しては責任を感じています」

著者プロフィールを見る
三杉武

三杉武

早稲田大学を卒業後、スポーツ紙の記者を経てフリーに転身し、記者時代に培った独自のネットワークを活かして芸能評論家として活動している。週刊誌やスポーツ紙、ニュースサイト等で芸能ニュースや芸能事象の解説を行っているほか、スクープも手掛ける。「AKB48選抜総選挙」では“論客(=公式評論家)”の一人とて約7年間にわたり総選挙の予想および解説を担当。日本の芸能文化全般を研究する「JAPAN芸能カルチャー研究所」の代表も務める。

三杉武の記事一覧はこちら
次のページ
セミヌードカレンダー発売時のバッシング