決勝戦で敗退し、肩を落とす大津高校の選手たち
決勝戦で敗退し、肩を落とす大津高校の選手たち

 10日、第100回全国高校サッカー選手権大会の決勝が行われ、青森山田(青森)が4-0で大津(本)を下して幕を閉じた。今大会はベスト8のうち、公立勢は大津の1校のみ。公立高校が決勝の舞台に立ったのは、なんと10年ぶりだった。だが約20年前の2000年大会はベスト8のうち半数が公立高校。00年~08年大会では公立校が7回も優勝を果たしている。この10数年の間に、なぜ名門公立校は私立勢に水をあけられてしまったのか。

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 全国高校サッカー選手権で公立校が優勝したのは、2011年の市立船橋(千葉)が最後。以後は、決勝にも勝ち上がれていない。選手権6度の制覇を誇った国見(長崎)なども、長らく決勝の舞台から遠ざかっている。一方で寄付金などが集まりやすい私立高校は、積極的な設備投資や県外からのスカウトを活発に行い、地力を上げてきた。優秀な指導者やコーチを好待遇で迎え入れる体制も整備してきた結果だろう。

 私立の優位性について、長年高校サッカーを取材してきたスポーツジャーナリストの元川悦子氏は、優秀な指導者の「在任期間」の違いを指摘する。

「監督の在任期間は、公立の場合は通常10年程度が限界で、よほど特殊な事情がない限り、学校間の異動は必須です。どんな名将でも60代になれば定年退職となり、その後学校に残るケースはほとんどない。名将と呼ばれる監督のもとには、彼らの指導を求めて全国から優秀な選手が集まってきますが、異動してしまえば求心力がなくなり、その学校は常勝軍団でいられなくなることが多い。一人の指導者が長期指導を続けられないのは、私立との大きな違いです」

 実際、7日に他界した小嶺忠敏さん(享年76)も名将として国見を6回の全国制覇に導いたが、2006年の定年退職を機に、国見を去った。その後は私立の長崎総科大付でイチからチームを作り上げ、全国大会に出場する強豪校へと育て上げた。

 もっとも、小嶺監督の在任は約23年と特例扱いだった。赴任当初は社会科教諭。長崎県の公立高校教員には、離島の学校に少なくとも一度は赴任しなければならない規定があるが、特例として離島に赴任されないことが認められた。国見の校長就任時には、規定により監督を退任せざるを得なかったが、「総監督」として指揮を執り続けた。

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公立から私立へ移籍する名将も