元阪神の黒田祐輔(OP写真通信社)
元阪神の黒田祐輔(OP写真通信社)

 あと約3週間に迫ったプロ野球ドラフト会議。高校生と大学生にはプロ志望届の提出が義務付けられるようになり、本当の意味での“隠し玉”という選手は出づらくなっているが、それでも毎年のように驚きの指名があることもまた事実である。そこで今回はそんなサプライズ指名でプロ入りした選手は果たして戦力となっているのか、近年の事例をピックアップしながら検証してみたいと思う。

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 2004年のドラフトで大きな話題となったのが阪神から8巡目で指名された辻本賢人だ。中学からアメリカに渡り、日本の高校野球を経験しないまま15歳でプロ入りすることとなったが、これはドラフト会議史上最年少記録である。しかしプロ入り後は故障もあって5年間の在籍で二軍でも1勝もあげられずに退団。2010年からはアメリカに渡り、1年間独立リーグでプレーした後、メッツとマイナー契約を結んだが、肘の故障もあってメジャー昇格を果たすことなく2013年にユニフォームを脱いでいる。

 阪神では2007年大学生・社会人ドラフト4巡目の黒田祐輔もサプライズ指名だった。静岡高校時代は大型右腕として県内では評判の投手で、卒業後は強豪の駒沢大に進学。しかし2年の冬に大学を中退し、地元に戻ってシャンソン化粧品で働きながら高校生とともに練習しているという状況だった。ちなみにドラフトでは名前を呼ばれるときに所属チームもアナウンスされるが、黒田の所属していたシャンソン化粧品は野球部があるわけではなく、あくまで当時働いていた企業ということである。黒田もプロ入り後は故障に苦しみ、投手として3年間プレーした後、野手に転向。このタイミングで育成選手としての契約となったが、野手としても結果を残すことができず、2013年限りで引退している。

 更なる変わり種として世間を驚かせたのが2011年に日本ハムから7位指名された大嶋匠だ。新島学園、早稲田大ではいずれもソフトボール部でプレーしながらも、その打撃が関係者の目に留まって日本ハムの入団テストを受験。見事に合格を勝ち取って見せたのだ。ドラフト会議前から報道されていたこともあって、当日はある意味予定通りという空気だったが、それでも所属チームの「早稲田大学ソフトボール部」という響きは新鮮なものがあった。プロ入り後は1年目の紅白戦でいきなりホームランを放つなど非凡なところを見せたが、なかなか結果を残すことはできずに二軍暮らしが続いた。5年目の2016年に開幕一軍入りを果たし、12試合の出場で3安打を放ったのが一軍で記録したヒットの全てである。2018年オフに現役を引退。その後は地元群馬の高崎市役所に就職し、ソフトボールに復帰してプレーを続けている。

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西尾典文

西尾典文

西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究し、在学中から専門誌に寄稿を開始。修了後も主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間400試合以上を現場で取材し、AERA dot.、デイリー新潮、FRIDAYデジタル、スポーツナビ、BASEBALL KING、THE DIGEST、REAL SPORTSなどに記事を寄稿中。2017年からはスカイAのドラフト中継でも解説を務めている。ドラフト情報を発信する「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも毎日記事を配信中。

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巨人も過去に“サプライズ指名”