王貞治氏(左)、長嶋茂雄氏(中央)とともに五輪の開会式に登場した松井秀喜氏 (c)朝日新聞社
王貞治氏(左)、長嶋茂雄氏(中央)とともに五輪の開会式に登場した松井秀喜氏 (c)朝日新聞社

 東京五輪の開会式で長嶋茂雄氏、王貞治氏とともに聖火リレーのランナーとして登場した松井秀喜氏。現役引退後はあまり公の場には姿を見せない松井氏だが、長嶋氏の体を支え気遣う様子を目撃し、同氏の魅力を改めて感じた人は多いのではないか。

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 現役時代も野球だけでなく、その人柄でグラウンド内外で人々を喜ばせ、いまだに人気や知名度も抜群。暗い話題が多い世の中だからこそ、ファンや関係者に愛された松井氏に関するエピソードを振り返りたいと思う。

 12年に現役を退いてから、松井氏が表舞台に登場する回数はめっきり減った。だが、巨人でプレーしていた時代の記憶を鮮明に覚えている人は多い。

「野球に対する姿勢は本当に優等生だった。関係者は誰もが知っているが、練習量の多さは他の選手と比べ物にならなかった。ナイターの場合、球場入りはお昼過ぎになるが、その前に都内の別の場所で走り込みをやってからドーム入りする。試合後も納得いかない時は遅くまで残って、打ち込みや素振りをする。松井クラスがあれだけやるので、若い選手などは早く帰宅するのが気まずかったはず」(巨人関係者)

 当時の長嶋監督が『4番1000日計画』を掲げ、プロ入りから3年間=1000日で松井氏を育て上げた。球場以外でも長嶋監督の自宅やホテルで夜中まで2人でスイングを磨いた。理想のフォームを追求するために、時には松井氏を全裸にさせて素振りさせたというエピソードもある。また自己管理を徹底しており、太りやすい体質のため走り込みを欠かさなかった。膝が悪かったため、人工芝の下がコンクリートの東京ドームではなく、都内の土のグラウンドを個人的に準備していた。身体は大きかったが、ムダな贅肉がなかったのも納得である。

「若手だった頃、キャンプで同室だった。夜になるとバットを持って裏庭で素振りを欠かさない。休日前日、門限がなかった日に食事をして少し遅目にホテルへ帰った。松井が部屋にいなかったので、まだ外出中かなと思ったらいつも通り素振りをしていた。長いキャンプ中、肉体的にも精神的にも疲れる時はある。でも松井は日課を欠かさない。結果を残せるはずだと思った」(巨人OB)

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