妻から電話がかかってくるだろうとわかっていたので、スマホの電源は切っておいた。実家に電話がかかってきたが、「居場所は知らない」と言ってもらった。妻が実家にやってくることを恐れ、健吾さんと子どもはその日は実家ではなく、兄の家に泊まっていた。

 健吾さんいわく、「自分が先に連れ去られなければ、妻に子どもを連れ去られていたと思います。僕は連れ去りはしたけれど、2週間後には面会交流に応じました。もし妻が連れ去っていたら、なかなか会わせてもらえなかったでしょう」

 一方の妻・夏希さんの主張はこうだ(審判の陳述書などから、主張を抜粋、再構成した)。

 夫への不満が募り、夏希さんは離婚を考え始めた。「別れたい」と夫に告げたが、夫はいやがった。とはいえ、態度も改めなかった。夫婦仲はどんどん悪くなり、夏希さんは家でも気がふさいでいることが増えた。夫が子どもと遊びに行こうと誘っても、とてもそんなに気にはなれなかった。

 夏希さんは、ついに「離婚」を決意した。そして、子どもを連れて引っ越せるようにアパートを借りて準備を進めた。

 子どもを連れ去られたのは、その直後のことだった。

 連れ去られた翌日、子どもが通っている小学校に電話をしてみた。校長は「先週、お父さんが転校の手続きをしてほしいと言ってきました。お母さんと話し合ってくださいと言ったら、今朝『妻と話がまとまったので転校に必要な書類がほしい』と言うので渡しました」と、転校の経緯を説明した。

 夏希さんは、すぐに弁護士を立て、夫に「まずは子どもに会わせてほしい」と言った。しかし、夫は「(妻が)精神的に不安定だから」という理由で面会を認めなかった。

 そこで、夏希さんは、家庭裁判所に監護者指定と子の引き渡しの申し立てをした。そして、審判の手続きに時間がかかることを予想し、一日も早く子どもを引き渡してもらうために、審判前の保全処分も同時に申し立てた。子どもとは、2週間ほどで一回目の面会ができた。

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「夫こそ監護者にふさわしくない」