ハマればハマるほど、信じれば信じるほど、他人に熱心に「独特の世界観」を説きます。

 それは、心のどこかに「独特の世界観」に対する「一抹の不安」があるからじゃないかと、僕は考えています。

 どんなに陰謀論・カルト宗教の世界観を信じていても、心の深い部分で「本当にそうだろうか?」「あまりにも一方的すぎないだろうか?」という疑問が微細な泡のように浮かぶからこそ、必死に他人に教えを説くことで、泡の一つ一つを潰しているんじゃないかと感じるのです。

 それは多くの場合、無意識の行為かもしれません。

 でも、はっきりしているのは、熱心な信者になればなるほど、「伝えたい誰か」を強く求めるということです。

 逆に言えば、「伝えたい誰か」が存在しなければ、熱心な信者であり続けることは難しいのです。

 じーこさんのお母さんが、「毎回1時間の電話」をするのは、そうすることで自らの「信仰」を強化していると考えられるのです。

 じーこさんや弟たちが、やがて長時間の電話に疲れてお母さんの話を聞かなくなったとしたら、お母さんは「充実感」を得るために、話せる「他人」を求めるでしょう。

 陰謀論にハマることの問題点は、これです。アメリカの場合のような陰謀論グループに属していれば、仲間でお互いの「信仰」を検証し合いますが(だからこそ、自分の信仰を証明するために、暴力的な行動に出たりするのですが)、SNSで陰謀論を知り、現実では他人とつながっていない場合は、話せる「他人」を求めるようになります。

 結果として、「独自の世界観」に驚いた近所の人達や昔の友達、つまり「世間」を失っていきます。

 ただし、ここで陰謀論そのものを疑い始めるという可能性はあります。周りのあまりの反応の無さや無関心に、「陰謀論を信じることで、かえって淋しさや不安が増大すること」に気付く場合です。

 ですが、反対の結果になることの方が多いかもしれません。「世間」を失っても挫けず、「社会」の人達、つまり、自分とはまったく関係のない人達に話し始めるという可能性です。SNSで発信を続けたり、何らかの運動に参加したり、戸別訪問を始める場合です。

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「ここから僕は厳しいことを書かないといけません」