大分では実績通りの活躍ができなかったビチュヘ(写真・Jリーグフォト)
大分では実績通りの活躍ができなかったビチュヘ(写真・Jリーグフォト)

 先月2月26日に開幕した今年のJ1リーグ。新型コロナウイルスの影響で来日が遅れているケースも発生している中、今シーズンも多くの外国人選手が来日して各チームでプレーしているが、やはりその中での1番のビッグネームはイニエスタ(神戸)である。

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 だが、この元スペイン代表MFだけでなく、過去には多くの世界的プレイヤーたちがJリーグにプレーした。その中にはリネカーやベベットなど期待を裏切った選手もいたが、「話題性」、「誰もが覚えている」という意味では合格点と言えるかもしれない。その一方で、世界的に十分な実績と名声を得ていながらも、日本ではあまり話題にならず、在籍していたことを忘れがちな「実は大物」の選手たちもいた。

“大物勢揃い”と言えば、やはりJ発足直後の時代だろう。ジーコ、リネカー、ラモン・ディアス、リトバルスキー、ストイコビッチといった錚々たる面々がJリーグの各クラブに在籍していたが、その中で存在を忘れがちなのが、ウーベ・ラーンである。

 西ドイツ代表として1986年W杯に出場し、1986-87シーズンにブンデスリーガ得点王、1987年にはドイツ年間最優秀選手賞にも選出された名選手だ。1993年途中に浦和レッズに加入したが、コンディションが整わずに13試合出場で1得点のみ。チーム事情でボランチやセンターバックで出場していたこともあって本来の姿を見せられず、翌1994年は外国人枠の問題で未出場のまま退団し、現役からも退いた。その実績を考えると何とも寂しい最期となってしまった。彼のプレーを今でも覚えているのは、ごく一部のレッズサポーターだけだろう。

 浦和はラーン以外にも欧州から割と“大物”と呼べる選手が来日していた。フランス代表として45試合に出場した実績を持つDFボリや、デンマーク代表として66試合に出場し、2002年のワールドカップでもプレーしたDFニールセンなど、そこまで話題にならずとも世界的に活躍していた選手がプレーしていた過去もあった。

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世界的スターの憧れの選手もJでプレー