ドジャーズ時代のビル・マドロック(写真/gettyimages)
ドジャーズ時代のビル・マドロック(写真/gettyimages)

「打率だけなら5割は打てるよ」「川崎球場だけで25本塁打は軽い」「今年は20盗塁を決める」etc

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 こんなビッグマウスを連発して、“時の人”になったのが、1988年にロッテに入団したビル・マドロックだ。

 それもそのはず。メジャー通算2008安打、163本塁打、首位打者4回の実績は、本塁打を除くと、前年来日して“黒船級”の旋風を巻き起こしたヤクルトのボブ・ホーナーよりも上。目標が「ホーナー以上」になるのは、ある意味当然だった。メジャー時代には、10回以上も退場処分を受けた血の気の多さから、名前をもじって“マッドドッグ”(狂犬)と呼ばれた男は、「ホーナーは活躍したが、チームは勝たなかった。自分はチームが勝つことに重点を置く」とV請負人になることを約束した。

 球団史上最高年俸の1億3650万円を払って獲得したロッテも、住居として165平方メートル、5LDKの高級マンションを提供し、本拠地の川崎球場にも16平方メートルの専用ロッカールームを用意するなど、VIP待遇でバックアップ。「サザエさん」の応援歌もファンに親しまれ、あとはバットで結果を出すだけだった。

 だが、すでに37歳。動体視力の衰えから速球に振り遅れる場面が目につき、開幕から1カ月後の5月8日の時点で打率2割3分5厘、3本塁打と低迷。初めは警戒していた日本の投手も、速球でファウルを打たせ、変化球で仕留める攻略パターンがお約束になった。

 後半戦になっても、4番・マドロックの調子は上がらず、9月以降は6番降格。前半戦に3位だったチームも、優勝どころか、最下位に転落してしまう。怒ったファンが川崎球場の横壁に「マドロック立入禁止」の落書きをしたのも、この頃だ。

 結局、打率2割6分3厘、19本塁打、62打点と“目標”を大きく下回り、たった1年でクビになった。

 退団時には、ビッグマウスはすっかり影を潜め、「ホーナーは“地球の裏側にはもうひとつの違う野球がある”と言ったが、そんなことはない。日本の野球だって、十分立派にやっていけると思う」と謙虚なコメントを残している。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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