被災者に寄り添い続けるカフェ・デ・モンク主宰・金田諦應さん「10年の軌跡は人類共通の財産」#あれから私は 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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被災者に寄り添い続けるカフェ・デ・モンク主宰・金田諦應さん「10年の軌跡は人類共通の財産」#あれから私は

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被災者たちの話を聞く金田さん

被災者たちの話を聞く金田さん

傾聴移動喫茶「カフェ・デ・モンク」

傾聴移動喫茶「カフェ・デ・モンク」

著書「東日本大震災-3.11生と死のはざまで」

著書「東日本大震災-3.11生と死のはざまで」

 東日本大震災から10年。宮城県栗原市の通大寺住職・金田諦應さん(64)は、震災直後から傾聴移動喫茶「カフェ・デ・モンク」を被災地で開き、人々の悲しみや苦しみに寄り添ってきた。その活動は宗教・宗派を超えて人々の心のケアにあたる「臨床宗教師」の養成につながっていく。著書「東日本大震災-3.11生と死のはざまで」(春秋社)を出版したばかりの金田さんに、被災地の現状や臨床宗教師の今後などについて聞いた。

【写真】傾聴移動喫茶「カフェ・デ・モンク」の様子

*  *  *
-被災地の現状について教えてください。

インフラの整備はかなり進みましたが、懸念しているのは復興住宅に入ってからの人々の暮らしです。5年位で活動をやめようと思っていたのですが、仮設住宅でお世話になっていた人たちから「やめないでください」と。復興住宅の中で孤独死する人が出てきていて、なじめずに仮設住宅に戻って自殺した人もいる状況だったんです。それまでは傾聴中心の活動でしたが、今は人と人との交流を促す、コミュニティーを再生するための活動にもなっています。

 孤独は被災地だけの問題ではなくて、経済が下降した「失われた20年」にそれまでごまかしてきたような問題が露呈し、自殺が増えてきたのだと思います。私たちは震災前から自殺の問題に取り組んできたのですが、その視点を潜ませながらこの10年活動してきました。日本の社会構造が全く解決されないまま東日本大震災が起きたので、必ずまた元に戻ると考えていたら、案の定そうなった。コロナでさらに亀裂が深くなっているというイメージです。

-今はどのような相談が多いのでしょうか?

 被災地の方々も高齢になってきましたので、大きな悩みは病と自分たちの死です。仮設住宅では一生懸命頑張っていたけれど自分たちの生活を取り戻すようになってからいろんな所にガタが来ているのだと思います。ガンになった、手術した、という話ばかりです。仮設住宅、復興住宅と、70代、80代で何回も人間関係をつくらなくてはならないのはしんどいと思います。それで負担がかかってくるのでしょう。それに対して私たちが時々行って「がんばろうよ」と励ましたり、「生存確認だぞ」って言ったりしているんです。

-亡くなられた方への思いは。

 亡き人への思い、大きな悲しみ、苦しみは一生乗り越えることはできないし、背負って歩いていることは間違いありません。ときどき無性に涙が出たり、悲嘆が増大したりということはありますが、人間はそうやって背負いながら歩いていると少しずつ前に進めるものです。でも背負っているものが大きすぎればフラフラってなる。後ろにひっくり返りそうになるし、前につんのめりそうになる。それを私たちのような存在が、小指一本でいいから、支えてあげる。お互いにね。そうすることによって人は前に歩いていくことができる。小指一本で支える人が、例えば周りに30人いたらその人は一生歩いて行けますから。そして亡き人の思いをね、その人の思っていたことや目指していたことを自分の未来の中に織り込んでいけばおそらく一緒に歩いていくことになるんじゃないのかなって思います。

 そしてやっぱり、遺体が見つかっていない「あいまいな死」を抱えている人はしんどいだろうと思います。そうした「あいまいな死」を抱えた、あるおばあちゃんがいてね。7年間ほとんど外に出ず、なかなか心を開いてくれなかった。でもある時「お墓の作り方を教えてほしい」と聞かれて「こうしてやるんだよ」って教えたらすごく喜んでくれました。あいまいな死でも、どこかその死をその人の中で引き受けて、一緒に歩もうっていう一歩だったんだろうと思いました。

 また震災後7年目くらいのときに東松島(宮城県)へ行きました。旦那さんを津波で亡くした女性が突然ワッと泣き出して、そうしたら隣の人が「もう泣くな、泣いたら浮かばれんぞ」って言ったんです。私は「いやいや、悲しい時は悲しんだ方がいいんだよ、泣いていいんだよ、そのために私たち来たんだから」と伝えました。何年も経つと「もう泣いちゃダメだ」って無意識のうちに思ってしまうんですよね。語れる場所、ここに来たらいつでも泣いていい、亡くなった人への思いを訴えてもいいんだという寛容で開放的な場所と存在はこれからもずっと必要だと思います。

-時が経っても悲しみを出せる場所って大事なのですね。

 すごく大事だと思います。「語る」ということは、言葉で吐き出すことによってその人の悲しみや苦しみを開放する一つのプロセスになるんです。強烈な体験として「幽霊現象」もありました。「幽霊を見た、感じた」という人がいて、悲しんだり喜んだりしている、「ああ幽霊で会えた」って。「科学的でない」と言われても、おそらくそうなんだろうとしか言いようがない。これだけ多くの人が不慮の災害で亡くなった後に「そんな現象が起きても不思議じゃないよね」と言えるのが日本人の感覚ではないのか。そこには、すごく切なくて、いとおしい思いがあります。

-コロナの影響で外出や集会が難しい今、活動への影響はありますか。

 傾聴移動喫茶「カフェ・デ・モンク」はほとんど開けず、昨年11月に久しぶりに開いた時には「病院と買い物しか行けない」「外から来る人がいなくなり、すごく寂しい」と言われましたね。自治会のイベントもできない状態なので、そういう時には焦ってもしょうがない、「みんなでよし、『死んだふり』していよう」って(笑)。

-この10年、支援の形は変わってきましたか。

 状況にあわせて、特に5年目以降は相手の要望を聞きながら、相手の思うようなところに入っていくなど、やり方は徐々に変えていきました。でも思いは同じ。とにかくそこにいて、そばにいたかった。最初は無我夢中でいろんな思いを抱いていましたが、やればやるほどできることは限られていることが分かってきた。お金も医師の知識もあるわけではない。何にもできないんですよ。だけど、そこに、苦しい人たちのそばにい続けたかった。

 その間に私たち宗教者は鍛えられました。生の現場に立ち、現場の言葉を聞き分けて、どのように応答していくか。悩みながら毎日真剣に向き合って、そのことが宗教者を成熟させ、深めさせていくということなのかなと思います。長い歴史の中でこのようなことはたくさんあったと思います。地震があってあらゆるものを破壊して、津波が根こそぎ持って行く。雨が降って植物が生え、水の中に養分が入りいい漁場を作る。けれど30年くらいすると皆流されてしまう。そのような歴史の中で文化や宗教、芸能が生まれた。生と死を乗り越える、背負って歩く、自分に落とし込んでいくための礼儀とか作法、知恵を災害の中から学んでいった。この先も「災害と共に」ということですね。今「強靭な国土作り」と言われますが、自然をはね返して、防潮堤の向こうは死で内側は生という無理な分け方をすれば、生と死に向き合うしなやかな知恵が日本人の中に育っていくのだろうか、とても危ういと思います。

-金田さんたちの活動は「臨床宗教師」の養成にもつながりました。2016年には全国組織も発足し、活動の場を広げています。

 いま主に向き合っているのは東北や熊本等の被災地と、病院やホスピス、在宅といった医療の現場です。「カフェ・デ・モンク」は全国に広がっていて、多くは月1回程の仮設ですが、「えんま堂カフェ」(京都)という固定カフェもあります。京都では行政と自殺対策で連携すること等もしてきました。ただ今はコロナ禍でほとんど活動ができず、臨床宗教師の方たちも悶々としていますね。皆に言うのですが、「そんな時は『死んだふり』して動き出すのをじっと待つのも大切なこと。周りを見て人間関係を整理整頓したらいい」と話します。

-臨床宗教師の活動は社会の中で浸透してきたと思いますか。

 宗教者と行政関係者の間で互いに距離を縮めてきたということは間違いないです。行政だけではこの不安な状況や孤独、いろんなひずみで立ち止まっている人たちに向き合うことができなくなったのだと思います。一番時間があるのは坊さんたちですし、ネットワークもありますしね。その人たちとの協働の仕方を成熟させなければならないということを感じ始めたのがまず京都だったのでしょう。

 協働の仕方やふるまい方、礼儀、相手を尊重する態度等を宗教者も学んでいかなければならない。特定の宗教色は出さず、地道にやっていくことで初めて臨床宗教師が社会で広がっていくと思いますので、そのような場所でチャレンジしていくのがこれからの課題だと思います。

-現代日本における宗教者の役割とは何だと思いますか。

 社会全体で生と死の輪郭がぼけてきているという認識を持っています。被災地では生とは何か、死とは何か、皆考えていた。「こういう風に生きなくちゃだめだ」とか、お互いに励まし合って、強烈な生と死を経験した者同士の絆とかをこの10年の間に学んだと思うんです。それを再確認したいと思います。

 コロナ禍で顕著になっていますが、葬儀の在り方もかなり変わってきています。昔なら最低でも30人程度一緒に生きてきた人が集まり、互いに死を確認し、共通の語る場がありましたが、それがなくなってしまった。死を確認できないわけです。東京などではそれが日常茶飯事になっている。そうなると生の方も輪郭がぼけ、生と死の行き場所が分からないような文化が生まれてくる。きちっと生と死に向き合い、考える場を設ける、皆が集う場を開いていくことが宗教者の役目なのかな、と思います。生と死を考え、共に生きて死を共有し、共に前に進んでいく。そのような文化をもう一回作りませんか、ということが被災地から皆さんに提案する視座です。

-読者にメッセージをお願いします。

 あの時何があって、その人たちがどのように生きたか、あの時あんなに沈んでいた人たちがどのように立ち上がっていったかというのは、人類共通の財産だと思います。その軌跡を真正面から受け止めてほしい。災害によって国が成り立っている日本にとって、とても大切な災害との向き合い方だと思うんですよ。幸いなことにそれを今回本に言語化することができましたので、そのなかから拾い集めて、それぞれの人生に織り込んでいただければ。そのことで亡くなられた2万人の方たちの思いも未来に生きていくのではないのかなと思います。

(構成/藤岡敦子)

◆プロフィール
金田諦應(かねた たいおう)宮城県栗原市生まれ。曹洞宗・通大寺住職。震災直後に傾聴移動喫茶「カフェ・デ・モンク」を立ち上げ、被災地を広範囲に巡り被災者支援活動に従事。日本臨床宗教師会副会長。著書に「東日本大震災-3.11生と死のはざまで」「傾聴のコツ」。


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