ヤクルト黄金期を監督、選手として作り上げた野村克也氏(左)と古田敦也氏(右) (c)朝日新聞社
ヤクルト黄金期を監督、選手として作り上げた野村克也氏(左)と古田敦也氏(右) (c)朝日新聞社

 野球に「たられば」は禁物。そんなフレーズを子供の頃からよく目にし、耳にもしてきた。それでも、歴史を振り返る上では「もし……」と思うことがある。たとえば、もし、1年ほど前にこの世を去った野村克也氏が、1990年代にヤクルトの監督になっていなかったら──。

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 ヤクルトは、1950年に国鉄スワローズとして誕生し、今年で72年目のシーズンを迎える。その間にリーグ優勝7回、日本一5回。日本一の回数は、巨人(22回)、西武(前身球団も含め13回)、ソフトバンク(前身球団も含め11回)に次いで、NPB歴代4位の数字である。

 ただし、「もし」野村監督の時代がなければ、日本一は1978年と2001年の2回、リーグ優勝も2015年を加えた3回だけ。つまり、野村監督の下でリーグ優勝4回、日本一3回に輝いた1990年代こそが、ヤクルトの球団史上でも唯一の黄金期ということになる。

 野村氏といえば現役時代の大半を南海(現ソフトバンク)で過ごし(最後の8年は選手兼任監督)、その後はロッテ、西武と渡り歩いて45歳で現役を引退。ユニフォームを脱いでからは、野球評論家として活動していた。そんなセ・リーグの球団とは縁もゆかりもなかった野村氏を監督として招聘したのは、ヤクルトの大英断だったと言っていいだろう。

「1年目に種をまき、2年目に水をやり、3年目に花を咲かせてみせましょう」

 ヤクルトの監督に就任した野村氏は、その言葉を実現する。1年目の1990年は5位に終わったものの、翌91年は11年ぶりのAクラスとなる3位に導くと、3年目の92年は阪神、巨人との三つ巴の争いを制し、14年ぶりのリーグ制覇。自身にとっては南海のプレーイングマネジャー時代以来、監督として2度目の栄冠となった。

 さらに1993年には球団史上でも初めてのリーグ連覇を達成。日本シリーズでは当時のパ・リーグにあって「常勝」といわれていた西武を相手に前年の借りを返し、球団15年ぶり、そして野村監督にとっては初の日本一。この年のプロ野球は巨人・長嶋茂雄監督の復帰という大きな話題があったのだが、“主役”の座をさらったのが野村監督率いるヤクルトだった。

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かつて起こった“ヤクルトバブル”