新体操漬けの3年間を過ごし、卒業後は名門・国士舘大学へ進学。当時は、全日本新体操選手権で優勝した、”レジェンド”と呼ばれる4年生たちがいた。難波さんは、その実力が評価され、入部してすぐに団体チームのメンバーに選ばれた。

「もう毎日の練習が恐怖でしかなく、とにかくきつかったですね。チームに入ったことで蹴落とした先輩たちもいる。1人暮らしにも大学生活にも慣れない中、いろいろなプレッシャーがのしかかっていました」

 チーム全体を俯瞰して見られるようになってきたのは、3年生の時だった。

「当時の4年生があまり個性を出さないというか、引っ張っていくタイプじゃなかったんです。ある時、顧問の先生から『なんでお前がまとめないの』と怒られ、熱いほうだったので『僕がやらなきゃダメだ!』となって。競技を色々な角度から考えるようになり、勉強になりました。特に人の動かし方、モチベーションの上げ方は本当に難しかった。ちょっとチームから離れてきたと思う人がいると、飲みに連れて行って話を聞いたり。苦労しました」

 難波さんは、下級生にも早い段階から自分で考えるクセをつけるように指導したと言う。

「僕たちが上級生になるにつれて時代も変わり、根性論が通じなくなってきたんです。後輩であっても嫌なことは嫌だと言ってくる。でもそれはいいことなので、1年生にも演技の構成や練習メニューについて考えを聞くようにしたんです。才能のある子が多かったので、早くそうした視点を身につけることで、いずれチーム全体が強くなるんじゃないかと。実際にそうすることでチームの流れも変わっていきました」

 朝から晩まで新体操に打ち込んだ4年間が過ぎ、卒業を目前にしても就職のことはまったく考えていなかった。

「そのころから、『自分の進む道はエンターテイメント界だ』と思っていました。いま考えれば甘いんですが、当時は『俺はすごい技術を持っているし、ステージに立てばみんなを笑顔にできる!』と思ってました」

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