寂光院の放火火災から20年 平清盛の娘の命日を前に怒り再び (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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寂光院の放火火災から20年 平清盛の娘の命日を前に怒り再び

連載「あなたの知らない神社仏閣の世界」

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2005年に再建された寂光院本堂

2005年に再建された寂光院本堂

寂光院の隣にある高倉天皇皇后徳子(建礼門院)大原西陵

寂光院の隣にある高倉天皇皇后徳子(建礼門院)大原西陵

 冬になるとどうしても火災のニュースが増えてくる。気候も影響しているのだろうが、日本特有の家屋の構造も火災の増減に影響しているようだ。古くから「日本の家は紙と木でできている」と揶揄されてきたし、実際、歴史上にも万を超える人が亡くなってしまった火災が記録に残っている。江戸の三大大火と呼ばれる「明暦の大火」「明和の大火」「文化の大火」、京都の町の8割を焼き尽くしたと言われる「天明の大火」など、被害の大きな火事はほとんどが1月から3月の間に起きている。
 
 江戸時代、この季節だけ被災しないように妻子を郊外の実家に帰省させ、梅雨の前に江戸の町に呼び戻すという江戸の町民たちもいたのだとか。おかげで冬と夏の人口にかなりの差が生じていた。それほど江戸時代、火事は恐れられていたのである。

●天皇も将軍も平等に被害を受ける

 火事の被害は人を選ばない。天皇も将軍も大名も寺や神社も、火災が大きくなればなるほど被害を受ける。「明暦の大火」では、江戸城の天守が焼け落ちたし、「明和の大火」では火元の大円寺はもちろん、山王神社(日枝神社)、神田明神、湯島天神をはじめ400を超える寺社が焼失、150以上の大名屋敷が火に巻かれた。「文化の大火」で増上寺五重塔が全焼、「天明の大火」は京都の御所を焼き尽くした。これほど恐ろしい火事だが、大半は放火が原因となっている。しかも、これは現代に至るまで火災の最大原因として変わらないというから、どうやっても火事はなくならないということになる。

●国宝・金閣寺は放火で焼失

 三島由紀夫はじめ小説にもなった金閣寺の全焼事件は、近年では何よりも有名な文化財火災だろう。何しろ国宝が全焼、堂内にあった運慶作と伝わる国宝仏ほか数体の仏像も焼失した。放火した犯人の学僧は自殺未遂を起こし、彼の母は事情聴取の帰りに自殺する結果を招いている。統計によれば、ぼや程度も含めて放火は犯人の検挙率が意外と高く、80%程度となっている。特に大きな被害を出した火事はより放火犯がつかまりやすいのだが、私の記憶の中にひとつだけ大変残念な仏閣火事がある。それが、京都・大原にある寂光院の放火火災である。


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