当初、桜花さんは、海斗さんの仕事優先の行動が自分の痛みの原因で、彼の行動が変わらない限りこの状態から抜け出せないと思っていましたが、自分の痛みの構図がわかり、その痛みに向き合うことで緩んできました。
桜花さんは、緩むのと同時に、自分が長女で妹のために何かを我慢すると母親に褒められてきたことを思い出しました。母親にそんな意図はなかったのでしょうけど、桜花さんは、妹はそのままでも受け入れられるけど、自分は我慢しないと母親に愛されないんだ、と心のどっかで感じていたこと、そしてその感じ方は、海斗さんとの関係では自分が我慢しているのに褒められない(=愛されない)と感じていることにも気づきました。
そこまで気づくと、桜花さんの「問題」はいつの間にか解消しました。海斗さんと過ごせる時間が少ないことが平気になったわけではありませんし、寂しいことには変わりはありませんが、激しい感情は生じなくなったのです。代わりに、海斗さんに趣味を作れと言われてもそんなの論外と思っていたのに、学生時代にやっていた合唱をまたやってみようかなと思うようになりました。そして、実際に合唱サークルを探して申し込んで、自分の時間を楽しむようになりました(コロナの前の話です)。
「どうしたらいいか」をしつこくお聞きになっていた海斗さんは、この変化にカウンセリングの効果が出たとお喜びでしたが、残念ながら、その後は海斗さんが期待した通りには進まなかったようです。
それから1年ぐらいして、桜花さんが、一人でお見えになりました。
「夫のことは好きですし、夫がいない時間、自分が楽しむために時間を使うようになって、そのことは楽しいのですが、『自分はこういう人生を送りたいのだろうか』という気持ちが強くなりました。彼を愛していることに変わりはないけど、この生活はやめたいと思っていることに気づきました。その気持ちを確認しに来ました」
とおっしゃいます。すっきりした表情をされていたので、その後、現実に一歩踏み出されたのだろうと思います。
海斗さんはどうしていればよかったのか、という話は海斗さんの構図に乗ってしまうことになりますが、しいて言えば、芸大生の妻が、ニケの像が自分に訴えかけてくるものを、家族に呆れられながらも5時間も対峙したのと同じように、妻が訴えかけてくるものに対峙したら違う転がり方をしたかもしれないな、と思います。
人はこういう状況(責められても自分にもどうしようもなくて自分も痛い状況)で、謝ったり、説得したり、怒ったりしがちです。それは「痛いから」していることですが、「痛みに向き合っている」のとは違います。もちろんカウンセリングの中でも自分や妻の痛みに向き合うことを促しているのですが、海斗さんは「どうしたらいいか」の枠組みから抜けなかったのです。それは無意識かもしれませんが、海斗さんの人生観からくる選択ですから、良い悪いの問題でないのは言うまでもありません。
(文責・西澤寿樹)
※エピソードは、おうかがいした事実をもとに再構成してあります。