あの時代には、人々は芸人を「キャラ」として消費していた。その芸人の衣装やネタやギャグをそのままの形で受け止めていた。

 だが、今はそうではない。それを象徴するのが「ユーチューバー芸人」という新しい肩書を引っさげて絶賛活躍中のフワちゃんである。今回の新語・流行語大賞では「フワちゃん」という名前そのものがノミネートされた。フワちゃんには決まったギャグがない。フワちゃんという存在そのものが流行しているのだ。

 フワちゃんに対してそれほど関心のない人は、彼女のことを単に「見た目が派手で明るく元気な女性タレント」というふうに見ているだろう。だが、フワちゃんを好きな人にとって、彼女はそういう存在だけにとどまらない。そのキャッチーな映像や衣装のセンス、忖度しない自由奔放な本音発言、大物の懐に入るコミュニケーション能力の高さなど、彼女の「人間」としての魅力が評価され、愛されている。

「チャラそうなのに真面目」というキャラクターで知られるようになったEXITも、現在では単にチャラいとか真面目だということではなく、2人の人柄やサービス精神などがファンに愛される要素になっている。

 これはフワちゃんやEXITに限らず、芸人全体に見られる傾向だ。「キャラ」の表面をなぞるのではなく、素の「人間」としてその人がどういう人格なのかということが問われている。

 この変化が起こっている理由の1つは、芸人側の発信力が上がっていることだ。今の時代、YouTubeやSNSなど、芸人が自分からファンに直接発信できるツールが豊富にある。そこでは作り込まれたネタやギャグよりも、本人の飾らない姿を見せることの方が求められている。

 一昔前に、決めフレーズやギャグで有名になった芸人が一発屋として雑に消費されてきたのは、テレビ以外の発信手段がほとんどなかったからだ。今はテレビ以外で芸人が直接発信をすることができるし、テレビでもそういうところに焦点を合わせるような企画が増えてきた。

 芸人のギャグが新語・流行語大賞にノミネートされなくなっているのは、芸人の実力や勢いが落ちているからではない。芸人を「流行語」という観点で評価すること自体が時代遅れになりつつあるのだ。(お笑い評論家・ラリー遠田)

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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