小田急電鉄小田原線の向ヶ丘遊園駅は遊園地「向ヶ丘遊園」の最寄り駅だったが、同園が2002(平成14)年に閉園、行川アイランドと同様に駅名はそのまま残されている。1927(昭和2)年に開業した際は稲田登戸を名乗ってしたものの、当初から遊園地の玄関駅となっていた(駅と遊園地は同年当日開業)。現駅名に改められたのは55(昭和30)年のことである。なお、遊園地の跡地には「藤子・F・不二雄ミュージアム」が開設されているので、訪問者の駅利用も多いに違いない。

 また、行楽施設ではないが、西武新宿線の都立家政駅や東急東横線の都立大学駅と学芸大学駅も似た経過をたどってきた。都立家政駅は東京府立中野高等家政女学校(現・都立鷺宮高校)の名残。東鷺宮への変更計画もあったが、地元の意見もあってそのまま残されることとなったものだ。都立大学駅は文字どおり都立大学の最寄り駅だったが、こちらは1991(平成3)年に大学が多摩ニュータウンに移転、2005(平成17)年には首都大学東京と改称されたものの、住民アンケートなどを経て駅名が残されている(首都大学東京は20年度から東京都立大学に改称)。学芸大学駅は学芸大学が64(昭和39)年に小金井市に移転したものの、やはり改称されずに今日に至っている。長年にわたりなじんだ駅名や地名をあえて変える必要もないのかもしれない。

■改称された駅も…

 逆に改称された駅もある。京成電鉄本線の谷津駅は、かつては谷津遊園を名乗る遊園地「谷津遊園」の玄関駅であった。谷津遊園は1925(大正14)年に歴史をさかのぼる遊園地で(当初は「京成遊園地」)、かつては近隣での海水浴や潮干狩りなどとともに人気を集めていた。私自身も幼少時に家族で遊びに出かけた思い出があるが、駅前から遊園地に至るまでの通りも、門前町さながらのにぎわいがあって子ども心にも楽しかったものだ。しかし82(昭和57)年に施設内にあったバラ園(現「谷津バラ園」)を残し閉園。84年に駅名から遊園が消え谷津駅と改称されている。

 東急田園都市線の二子玉川駅もかつては遊園地「二子玉川園」の玄関駅で、開業時の玉川駅から二子玉川→よみうり遊園→二子読売園→二子玉川→二子玉川園と数度の改称を経て、2000(平成12)年に現在の二子玉川に改められている。「二子玉川園」も歴史が古く、1922(大正15)年に「玉川第二遊園地」として開設、85(昭和60)年に閉園したのちは再開発用地として転用された。

 はたして、豊島園駅の駅名の去就はどうなるか。注目してみるのも面白そうだ。(文・植村 誠)

植村 誠(うえむら・まこと)/国内外を問わず、鉄道をはじめのりものを楽しむ旅をテーマに取材・執筆中。近年は東南アジアを重点的に散策している。主な著書に『ワンテーマ指さし会話韓国×鉄道』(情報センター出版局)、『ボートで東京湾を遊びつくす!』(情報センター出版局・共著)、『絶対この季節に乗りたい鉄道の旅』(東京書籍・共著)など。