また鶴田は92年1月28日、挑戦者・スタン・ハンセンに敗れ三冠王者を失っている。“怪物”鶴田にとって、鬼門の地とも言える。

 また同じ千葉県内の松戸市運動公園体育館(74年開場)も隠れた名『体育館』。

 全日本・三冠ヘビー級選手権では、90年7月27日の三沢光晴vsハンセンの新王者決定戦(勝者・ハンセン)。そして92年7月31日のハンセンvs田上明(勝者・ハンセン)が開催された。

 また新日本やUWF、FMWなど多くの団体が使用している。

 首都圏だけではない。愛知県体育館(現ドルフィンズアリーナ/64年9月)、福岡市民体育館(72年1月)など、全国にはプロレスで現役稼働しているところは多い。

 そして忘れてならないのが岩手県・矢巾町民総合体育館(78年11月)。93年3月16日、みちのくプロレス団体旗揚げ戦が開催された生誕地である。(数字は竣工、開場年)

 日本プロレス界を支え、名勝負を演出してきた昔ながらの『体育館』。古くなり無くなってしまったものも多いが、栄光の場所はファン、関係者の心に残り続ける。

 新しいアリーナは快適である。空調も効き、ビジョン設置などで演出も華々しい。エンタメとしては満足度が格段に上がった。しかし多くの名勝負とともに、オールドスタイル『体育館』の良さもファンには刷り込まれている。

「記憶には勝てない」という武藤敬司の言葉は、ここにも当てはまる。(文・山岡則夫)

●プロフィール
山岡則夫/1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌『Ballpark Time!』を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、編集・製作するほか、多くの雑誌、書籍、ホームページ等に寄稿している。Ballpark Time!公式ページ、facebook(Ballpark Time)に取材日記を不定期更新中。現在の肩書きはスポーツスペクテイター。