“似ている”ことでも話題となったマテオ(左)とドリス(右) (c)朝日新聞社
“似ている”ことでも話題となったマテオ(左)とドリス(右) (c)朝日新聞社

 2005年以来リーグ優勝から遠ざかっている阪神タイガース。今年もここまでAクラス争いには加わっているものの、首位を走る巨人からは大きく引き離されているのが現状だ。

【写真】「平成で最もカッコいいバッティングフォーム」はこの選手!

 打線の起爆剤として期待された新外国人のボーアとサンズの二人もまずまずの成績は残しているものの、大当たりとは言いづらい。毎年言われていることではあるが、“バースの再来”はそう簡単には現れないと改めて感じたファンも多いだろう。しかしそんな阪神の外国人選手事情だが、2000年以降の選手を見てみると、ある事実に気がつく。リリーフ投手の成功例が非常に多いのだ。そこで今回は、そんな虎のブルペンを支えた外国人投手を振り返ってみたいと思う。

 まず真っ先に思い浮かぶのがウィリアムス(2003~2009年)だろう。星野仙一監督の就任2年目となる2003年に来日すると、1年目はシーズン途中から抑えを任されて25セーブ、防御率1.54という見事な成績を残してチームのリーグ優勝に貢献。翌年は少し成績を落としたものの、2005年には藤川球児、久保田智之とともに“JFK”と呼ばれるリーグ最強のリリーフ陣を形成して再びリーグ優勝を果たした。また2004年のアテネ五輪ではオーストラリア代表として、準決勝で日本代表を相手に見事な投球を見せて銀メダルにも輝いている。日本での7年間で残した成績は16勝、47セーブ、141ホールド、防御率2.20というものであり、阪神の歴代外国人の中でも屈指の貢献度と言えるだろう。

 ウィリアムスの後に活躍を見せたのがアッチソン(2008~2009年)だ。来日1年目は当初、先発で起用されていたが、試合中盤から球威が落ちる弱点もあってシーズン途中でリリーフに転向。2年目の2009年にはリーグトップとなる75試合に登板して5勝、30ホールド、防御率1.70という見事な成績を残した。外国人投手には珍しく非常に制球力が高く、四球でピンチを招くようなケースがほとんどなかったのは特筆すべき点である。本人のメジャー志向が強く2009年限りで退団となったが、アメリカ帰国後も3球団でリリーフ投手として活躍した。

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西尾典文

西尾典文

西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究し、在学中から専門誌に寄稿を開始。修了後も主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間400試合以上を現場で取材し、AERA dot.、デイリー新潮、FRIDAYデジタル、スポーツナビ、BASEBALL KING、THE DIGEST、REAL SPORTSなどに記事を寄稿中。2017年からはスカイAのドラフト中継でも解説を務めている。ドラフト情報を発信する「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも毎日記事を配信中。

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藤川の“後釜”として活躍した助っ人は?