ダルビッシュ有との“二枚看板”を形成した東北高校の真壁賢守 (c)朝日新聞社
ダルビッシュ有との“二枚看板”を形成した東北高校の真壁賢守 (c)朝日新聞社

 今年から「1週間500球」という球数制限が導入された高校野球。かなり緩やかな制限ではあるものの、投手の負担を和らげようという動きが一歩前進したことは間違いない。また、かつてのように一人のエースだけで勝ち抜ける時代ではなくなっており、地方大会の序盤から継投で戦うチームは当たり前になっている。そこで今回は過去の甲子園大会で威力を発揮した二枚看板、もしくはそれ以上の投手陣は果たしてどのチームだったのか探ってみたいと思う。

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 まず強力な複数投手のチームでいうことで思い浮かぶのが1987年に春夏連覇を達成したPL学園だ。エースの野村弘樹、背番号10の橋本清、背番号7でレフトを守っていた岩崎充宏の三人がそれぞれ持ち味を発揮し、相手打線を寄せ付けなかった。夏の甲子園6試合の投手起用をまとめてみると以下のようになっている。

1回戦(対中央) 野村:4回1/3 橋本:4回2/3
2回戦(対九州学院) 野村:5回1/3 岩崎:3回2/3
3回戦(対高岡商) 野村:9回
準々決勝(対習志野) 橋本:9回
準決勝(対帝京) 野村:5回 橋本:4回
決勝(対常総学院) 野村:6回2/3 岩崎:2回1/3

大会合計
野村:30回1/3 橋本:17回2/3 岩崎:6回

 今から30年以上前にここまで見事に3人の投手を上手く使い分けて勝ち上がったというのは改めて驚きである。また野村はドラフト3位で大洋(現・DeNA)、橋本はドラフト1位で巨人に入団しプロでも主力として活躍。岩崎もプロ入りはならなかったものの、青山学院大、新日鉄名古屋でプレーしており、いかにレベルの高い3人が揃っていたかがよく分かるだろう。

 1990年夏には天理が南竜次、谷口功一という高校からプロ入りする投手二人を揃えて優勝を果たしているが、この大会で谷口が登板したのは2試合、6イニングだけであり、二枚看板と呼ぶのには疑問が残る。しかし天理は1997年春にも小南浩史、長崎伸一という二人の好投手を擁して優勝を果たしており、比較的早く複数投手で成功したチームと言える。また1998年夏の準決勝で松坂大輔擁する横浜にサヨナラ負けを喫した明徳義塾も寺本四郎、高橋一正と高校からプロ入りする二人の好投手を揃えていた。

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西尾典文

西尾典文

西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究し、在学中から専門誌に寄稿を開始。修了後も主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間400試合以上を現場で取材し、AERA dot.、デイリー新潮、FRIDAYデジタル、スポーツナビ、BASEBALL KING、THE DIGEST、REAL SPORTSなどに記事を寄稿中。2017年からはスカイAのドラフト中継でも解説を務めている。ドラフト情報を発信する「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも毎日記事を配信中。

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異なるタイプの「三本の矢」を擁したチームは?