2000年代に入り継投で頂点まであと一歩まで迫るチームが登場する。それが2001年の近江だ。本格派のエース竹内和也、落差の大きいカーブが武器のサウスポー島脇信也、右サイドスローの清水信之介というタイプの異なる三人の投手は「三本の矢」と呼ばれ、5試合中準決勝を除く4試合で三人全員が登板するという徹底した継投策で滋賀県勢初となる決勝進出を果たしたのだ。決勝では惜しくも日大三に敗れて準優勝に終わったものの、この継投策は強いインパクトを残した。

 2000年代の強力二枚看板というと、東北高校のダルビッシュ有(カブス)と真壁賢守を思い浮かべる高校野球ファンも多いだろう。入学直後から大器と評判だったダルビッシュだが、当時は成長痛などの影響もあって満足な練習量をこなすことができず、故障に悩まされていた。そんなチームを救う存在となったのが背番号18をつけた真壁だった。

 2人が2年生で出場した2003年夏の甲子園では、初戦の筑陽学園戦でダルビッシュが腰痛を訴えて2回で降板となったが、その後に登板した真壁がロングリリーフで好投。続く2試合ではダルビッシュが完投したが、準々決勝では真壁が先発して6回途中まで1失点、準決勝では5回途中からリリーフして無失点と見事な投球を見せた。決勝戦では惜しくも常総学院に敗れて大旗の白河越えはならなかったものの、2000年代を代表する二枚看板だった。

 2004年から夏の甲子園連覇を達成した駒大苫小牧も複数の投手を起用して勝ち上がったチームだ。特に強力だったのが後に球界のエースとなる田中将大が2年生だった2005年の投手陣である。田中以外にも140キロ台後半のスピードを誇るエースの松橋拓也、スピードは田中と松橋には及ばないものの安定感と粘り強さが光った吉岡俊輔と力のある3年生投手二人を揃えており、地方大会でも一人に負担をかけずに勝ち抜いていた。

 そして甲子園でも初戦の聖心ウルスラ戦こそ松橋が完封勝利をおさめたものの、残りの4試合は全て継投で勝利を収めている。決勝戦の最後のボールとなった田中の150キロは毎年放送されているが、その裏には二人の三年生投手の存在が大きかったことは間違いないだろう。

次のページ
異なる投手で春夏連覇した高校も!