武藤敬司(写真)の別人格であるザ・グレート・ムタは毒霧の使い手として有名/C. (株)MUTO OFFICE
武藤敬司(写真)の別人格であるザ・グレート・ムタは毒霧の使い手として有名/C. (株)MUTO OFFICE

 プロレスにおいて『毒霧』は強烈なインパクトを放つ。

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 別名『東洋の神秘』『アジアンミスト』。米国では東洋人ヒールレスラーが存在感を放つために使用してきた。

 口に含んだ液体を噴き出すことで相手を攻撃したり、入場時のパフォーマンスとして活用する。緑、赤、青など様々な色が使用され個性が現れるのも特徴的。リング上、吹き上がった毒霧がライトに照らされる様は、幻想的で非日常の世界を感じさせてくれる。

 先駆者は言わずと知れたザ・グレート・カブキ。

 カブキ(本名・米良明久)は81年米国テキサス州ダラスのWCCWで誕生したとされる。

「マネジャーのゲーリー・ハートが歌舞伎の連獅子の写真を持ってきた。おまえ、こういう格好できるか、と。でもペイントだけじゃ面白くないから、ヌンチャク振るようにした。もう1つインパクトが欲しくて、毒霧を開発した。最初は口から粉を吹くことを考えたが、口の中の湿気で固まってうまくいかなかった。ある日の試合後、シャワーを浴びて口に入った水をフッと噴き上げたら、照明の前に虹がスーッとかかった。これだと白や黒など様々な色を試したけど、赤と緑が一番綺麗だった」(14年12月7日週プレ・ニュース)

 カブキという個性を作り上げる中で、毒霧の存在は必要不可欠だった。米国ではタイトル戦線に絡む活躍をして名前を売り、83年の帰国後は全日本など、多くのリングで強烈な存在感を発揮した。

 全日本などは毒霧が反則技扱いだったこともあるが、試合中に使用したことはあまり記憶にない。

 カブキに続いての使い手は、武藤敬司の別人格であるザ・グレート・ムタ(愚零闘武多)。

『カブキの息子』として89年米国ルイジアナ州ニューオリンズでWCWに登場。プロデュースしたのはカブキと同じハートであり、団体きっての人気を得た。帰国後は新日本所属となり、相手を流血に追い込む凄惨な試合を繰り広げた。その後は武藤とともに、様々な団体に神出鬼没に現れている。

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毒霧の“親子対決”も実現