現在も緑、赤、黒という3種類の毒霧を駆使して変幻自在の戦いを見せてくれる。

 WCWのムタとWWEのTAJIRI。米国マットで一時代を築き上げたレジェンドの豪華タッグも見られるようになった。

 ダブルでの毒霧共演ではムタが赤、TAJIRIが緑のものを使用しリング上が別世界に彩られた。

 そして15年5月5日のWRESTLE-1後楽園では、カブキを加えてのトリオも結成した。

 名だたる使い手3人以外にも、毒霧を使う選手は数多い。

 大仁田厚の化身グレート・ニタは、ムタと一騎討ちまで行った(99年8月28日、神宮球場)。

 新日本・永田裕志はTAJIRIと抗争を繰り広げた際、自身のイメージ色である青色の毒霧を噴射したこともあった。

 そして忘れられないのが、全日本でのラッシャー木村。対戦を熱望していた天龍源一郎に対し、ゴング前に毒霧を吹きつけた(90年3月31日、富山)。その後、マイクなどお笑い路線で人気を得たが、レスラーとしての凄みと執念を感じさせた瞬間だった。

「いまだに毒霧に勝る武器はない。これだけ近代化しても出てこないんだから。今、インディの変なのもいっぱい使うし、“こんな時にいらないんじゃないの?”っていうタイミングで出したりもする。なんか、通りすがりのことになっちゃってるつまらなさっていうか」

 前出『Gスピリッツ』の中で武藤も語っている。存在感が強過ぎるために多くの選手が頼り、安易に使い、存在自体が軽くなっている感もある。しかし毒霧とはカブキの大変な労力で生み出し、ムタが昇華させ、TAJIRIが紡いできたもの。本気で大事に思い使ってくれるレスラーによって、今後も時代を超え受け継がれていって欲しい技だ。(文・山岡則夫)

●プロフィール
山岡則夫/1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌『Ballpark Time!』を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、編集・製作するほか、多くの雑誌、書籍、ホームページ等に寄稿している。Ballpark Time!公式ページ、facebook(Ballpark Time)に取材日記を不定期更新中。現在の肩書きはスポーツスペクテイター。