障害者差別だけの問題ではない。性的少数者への差別や在日外国人に対するヘイトスピーチにみられるように、いのちの尊厳を訴えることばをあざ笑うような場面は、世の中にあふれている。政治家が弱者や異質な他者を切り捨てる発言をするのも、トランプ氏に限った話ではない。こうした時代の空気が植松死刑囚の病理性と結びつき、背中を押したように見えた。

 取材に取り組み、事件について考えるなかで、私自身、これまでにいかに障害者と接点が少なく、障害者について知らなかったかを、痛感させられた。朝日新聞神奈川版では、事件について考える企画記事に、「ともに生きる」というタイトルをつけた。「私はともに生きているか」「ともに生きるとはどういうことなのか」と、何度も自問することになった。

 植松死刑囚のことばに向き合うのはつらい。だが多くの問いを含んでいる。向き合わなければと思う。タテマエだけの、スローガンだけの「ともに生きる」では、植松死刑囚に見透かされると思うからだ。(朝日新聞横浜総局次長・太田泉生)