だが、栄光の陰では、「時に体罰で部員を指導することもあった」。沢田さんの厳しい指導を如実に表すエピソードがある。

 他校との練習試合で遠征した際、集合時間に遅刻した部員がいた。沢田さんは罰として、試合が終わるまでチームのマイクロバスのなかで立ち続けるよう命じた。試合が終わってバスに戻ると、トイレに行けなかったためか、その部員のズボンが濡れていたという。

 また別の練習試合では、守備中に打球を後逸した中堅手が、打球を追いかけると思いきや、そのまま外野後方のフェンスの間をすり抜け、グラウンド外へ逃走したこともあった。最寄りの駅で逃走した部員を発見し、問い詰めると、「殺されると思いました」と怯えながら話したという。

「本当にあの頃は醜い指導をしていたと思います。今でも後悔しています」

 なぜ沢田さんは体罰をしてしまったのか。そこには、体罰が当たり前だった時代の「体罰経験」の影響が大きいようだ。

「中学生のころ、塾の先生に突然頬(ほお)をビンタされました。なぜ叩かれたのかわからずに呆然としていると、「目上の人の前でそういう態度は失礼だぞ」と叱責されました。どうやら、私が無意識のうちに頬杖をついていたようです。顔を腫らしたまま家に帰って親にそのことを話すと、『お前が悪い』と再びビンタされました」

 体罰は部活動でもあった。大学まで野球を続けていた沢田さんは、1年生のころ、同級生とともに先輩から呼び出された。「グラウンドにボールが転がっていた」と責められ、40畳ほどのスペースに30人以上が正座させられ、目をつぶる。すると遠くから「バチン」という音が聞こえた。その音は少しずつ沢田さんに近づいてきた。

「もうすぐ自分も殴られる」

 その時の恐怖を沢田さんは今でも覚えている。

 そうしたなかで、沢田さん自身も「体罰は指導の一環」だと考えるようになった。沢田さん自身も、体罰は「選手の成長につながる」と信じていたのだ。監督に就任した当初は、“体罰の効果”も感じた。選手を殴ると、集中力を欠いたチームに一瞬で緊張感をもたせることができたのだ。

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「僕を殴ってください」という選手も