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「殺されると思いました」 甲子園常連校の元監督の“後悔”

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井上啓太dot.
後悔を語った沢田真一さん(c)朝日新聞社

後悔を語った沢田真一さん(c)朝日新聞社

 体罰と指導の線引きはどこにあるのか――。

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 スポーツの世界で根性論が幅を利かせた時代が終わりつつあるなか、いまだに体罰に関する議論は絶えない。3月にはプロ野球・読売ジャイアンツの2軍がアマチュアとの練習試合で敗れたことを受け、2軍の阿部慎之助監督(41)が選手たちに約1時間の「罰走」を指示したことが注目された。

 体罰の議論について、特別な思いを抱えている人がいる。盛岡大付属高校・野球部の前監督で、現在は同校の教頭を務める沢田真一さん(55)だ。監督として同校を春夏計7度の甲子園出場に導いた名将は、「私も以前は醜(みにく)い指導をしてきました」と悔いるように話す。

 沢田さんの監督人生は1991年春から始まった。青森県の高校でコーチをしていた時に、当時「野球無名校」だった岩手県の盛岡大付から監督のオファーがきたのだ。「自分が監督になって、全国制覇してみせる」と意気込んだ沢田さんだったが、就任直後の野球部員はわずか10人。グラウンドはサッカー部との共用で、用具はバット3本とボール20個だけ。全国制覇どころか甲子園出場を狙える環境ではなかった。

 当時は各私立校が野球部を強化して経営に結び付けようという動きが起こり始めた時代だ。もともとは女子校だった盛岡大付も、沢田さんを顧問に据え、部の強化を図ったのだった。当時の苦労を、沢田さんはこう振り返る。

「最初のころは私の話をじっと聞くことができなかったり、敬語を使うことすらできない部員がたくさんいました。就任1年目の夏の岩手大会では三回戦まで進んだのですが、当日になってスタメンの選手が『バイトで来られません』なんてこともありました。本当に苦難の連続でしたね」

 それでも、強豪校に追いつき追い越せと、沢田さんは厳しい指導を続けた。その情熱は寝食を忘れるほどで、朝5時から練習を始めることもあった。授業などの校務を含めると、「年間で5,160時間も働いたこともある」(経団連の2018年調査では、年間労働時間の平均は2,008時間)という。その努力が実り、就任4年目にして甲子園初出場を果たす。そして08年に監督を勇退するまでの在任17年間で春夏計7度の甲子園出場を果たし、同校を甲子園常連校へと押し上げた。


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