●立浪和義はスターだと思った。

 名古屋のスターとして、宇野氏は立浪和義の名前を挙げてくれた。

 名門PL学園高から87年オフのドラフト1位で中日に入団。487二塁打のNPB記録を持ち『ミスター・ドラゴンズ』と呼ぶ人も多い。

 立浪入団時、宇野氏は慣れ親しんだ遊撃手からのコンバートを経験している。

「当時の星野仙一監督から呼ばれ『二塁手をやってくれ。立浪を使いたい』と直接お願いされた。立浪を試合に使うとは思っていたけど、遊撃手とは思わないから驚いた。でも監督の意思は固かった。現役時代から可愛がってもらっていて監督の考え方もわかる。僕の答えもわかっていて打診したんだろうね。宇野なら遊撃手以外もできる、と思ってくれていたのかもしれない」

 宇野は前年30本塁打を放ったチームの顔である。普通では考えられないコンバートであったが、本人は納得していたという。

「立浪に対して嫉妬などはなかった。良い選手とは知っていたからね。星野監督の語り口からも、立浪を日本を代表するスター選手にするというのもわかった。実際にそうなった。また僕自身、その後も試合に出続け本塁打も30本近く打ち続けられた。タイミングもあったし、それを見極めた監督もすごいと思った。野球人・宇野勝として感謝している」

「僕はレギュラーだったかもしれないけど、スターなんかではない」

 宇野氏は最後まで謙遜していた。しかしプロ野球18年間で通算本塁打338本(うち中日時代334本)、打点936(同923)は間違いなく強打者の証。そして派手な珍プレーも加わり、時代を超え未だに高い知名度がある。

 宇野氏が中日在籍した77年から92年までの間にリーグ優勝2回、Aクラス8回は誇れる数字と言って良い。しかし中日ファンはこんなものでは満足しない。根尾と石川が中心となりこれ以上の成績を残し、黄金時代が名古屋に来る日を熱望する。

 愛知(石川)と岐阜(根尾)、地元出身のフランチャイズプレイヤーが『名古屋のスター』になる。そんな大きな夢を抱かせてくれるものを、この2人は持っている。(文・山岡則夫)

●プロフィール
山岡則夫/1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌『Ballpark Time!』を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、編集・製作するほか、多くの雑誌、書籍、ホームページ等に寄稿している。Ballpark Time!公式ページ、facebook(Ballpark Time)に取材日記を不定期更新中。現在の肩書きはスポーツスペクテイター。