2000年代に入り、「日本で初めて160キロを投げるのは、この男」と期待されたのが、五十嵐亮太だ。

 中学時代は一塁手で、敬愛学園入学後も捕手を希望していたが、遠投で楽々100メートルを投げる強肩に惚れ込んだ古橋富洋監督が投手に抜擢した。

 97年夏、最速144キロの速球を武器に、東京学館総合技術戦で9回2死までノーヒットに抑えたが、「あと1人」で二塁内野安打を許す。その一方で、高めのボール球に手を出さない相手打線に苦しみ、1安打しか許さなかったのに四球連発で2失点と粗さも露呈した。

 同年のドラフトヤクルトに2位指名入団。未完の大器は、体づくりや筋肉強化を経て、球速も飛躍的に上昇する。

 そして、7年目の04年6月3日の阪神戦、9回に登板した五十嵐は2死後、今岡誠の3球目に日本最速タイ(当時)の158キロをマーク。さらに9月20日の阪神戦でも、矢野輝弘に対し、計4球、158キロを投げている。同年は5勝3敗37セーブで最優秀救援投手に輝いたが、ついに“夢の160キロ”は実現できなかった。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2019」(野球文明叢書)。

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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