■「優生思想」の台頭と「内面化」への傾斜

香山 ウイルスは差別しない、ともいわれます。人種や収入に関係なく、誰もが感染して命を落とす可能性は確かにある。国際的にもセレブや経営者で犠牲になった人もいます。しかし、その反動で、逆に優生思想が台頭するのではないかとも危惧しています。そんなに簡単に「誰もがコロナの前では同じ。だから同じなんだ」などと単純に思えるとはとても思えない。

佐藤 おしゃる通りです。密集したスラムに住んでいる人たち、医療機関にかかる経済的余裕のない人たちの方がコロナのリスクは高いです。もともと欧米社会には人種主義が根深く存在します。しかし、ナチスによるユダヤ人虐殺などから、人種主義は地中深くに埋め込まれました。それが今回のコロナ危機によって再び表にあらわれてきたということでしょう。もっとも、人種主義や優生思想は欧米に限ったものではありません。日本でも優生思想が強くなっています。一例をあげると、生物学者の福岡伸一氏が新型コロナウイルスに関して、「病気は免疫システムの動的平衡を揺らし、新しい平衡状態を求めることに役立つ。そして個体の死は、その個体が専有していた生態学的な地位、つまりニッチを、新しい生命に手渡すという、生態系全体の動的平衡を促進する行為である」と言っています。福岡氏は頭が良いので表現に気をつけていますが、これは選ばれた個体だけが生き残るということですから、明らかに優生論です。

香山 イタリアなど感染が激烈だった地域の病院では、人工呼吸器の台数が限られているときに誰を優先させるか、といった“命の優先順位”の議論も実際にあったようですね。

佐藤 福岡氏の議論はキリスト教の「二重予定説」とも類似しています。二重予定説とは、神の救済にあずかる者と滅びる者は予め選ばれているという考え方です。二重予定説に基づけば、神の意志はわからないので、誰が助かるかもわかりません。そのため、私たちにできることは、日々を一生懸命生きていくことだけということになります。アルベール・カミュの『ペスト』にも、イエズス会のパヌルー神父がペストを前にして、人々が悔い改めることが重要だと説く場面があります。死がコントロール不能だという事実に直面すると、人々はどうしても宗教やスピリチュアルに接近していくのです。イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏も『21Lessons』の最終章で「瞑想」に言及していますが、現在のような状況が続く限り、人々が内面化していくことは避けられないと思います。

(構成・前田和男)