PL学園時代に高校野球界を席巻した清原和博(左)と桑田真澄(右) (c)朝日新聞社
PL学園時代に高校野球界を席巻した清原和博(左)と桑田真澄(右) (c)朝日新聞社

 長い高校野球の歴史の中で、最高のコンビと言えばPL学園の桑田真澄、清原和博の『KKコンビ』になるだろう。1年夏から5季連続で甲子園に出場し優勝2回、準優勝2回、ベスト4進出1回という結果を残し、甲子園を席巻した。当時のPL学園は他にも能力の高い選手が揃っていたが、二人の実力が突出していたことは間違いないだろう。今回はそんな二人以降、甲子園で活躍を見せたエースと主砲のスター選手コンビを振り返ってみたいと思う。

【ファンが選んだ平成で最もカッコいいバッティングフォームはこの選手!】

 まず桑田、清原の甲子園での通算成績は以下の通りである。

■桑田
投手成績:25試合 20勝3敗 197回2/3 自責点34 防御率1.55
打者成績:26試合 104打数37安打6本塁打 打率.356

■清原
打者成績:26試合 91打数40安打13本塁打 打率.440

 桑田の20勝(戦後最多)、清原の13本塁打はいずれも甲子園通算最多記録。清原の13本塁打は2位の6本塁打に倍以上の差をつけており、またその2位タイに桑田もいるというのがこの二人の凄さを物語っている。桑田に次ぐ勝利数は石井毅(箕島)の14勝と清原のホームラン数ほどの開きはないものの、複数の投手で勝ち進むチームが増えているだけに、こちらも更新の可能性は極めて低いだろう。

 桑田の出現以降、甲子園で通算二桁勝利を最初にマークしたのは松坂大輔(横浜)である。甲子園に出場したのは3年春、夏の2大会だけであるが、11試合全てで勝ち投手となり、負けなしの11勝0敗という記録を残した。99回を投げて自責点11、防御率0.78という数字は“平成の怪物”の名に相応しいものである。

 しかし当時の横浜高校のメンバーを考えると、松坂と並び立つような『打の主役』の選出が難しくなる。まず4番には松坂自身が座ることも多く、後藤武敏、小山良男といった後にプロ入りする打者も中軸に座り活躍はしていたものの、ともに甲子園で放ったホームランは1本ずつ(後藤は春、小山は夏に記録)と主役と呼べるほどの結果は残していない。そういう意味でも1998年の横浜は松坂が突出していたチームだったことがよく分かるだろう。

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西尾典文

西尾典文

西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究し、在学中から専門誌に寄稿を開始。修了後も主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間400試合以上を現場で取材し、AERA dot.、デイリー新潮、FRIDAYデジタル、スポーツナビ、BASEBALL KING、THE DIGEST、REAL SPORTSなどに記事を寄稿中。2017年からはスカイAのドラフト中継でも解説を務めている。ドラフト情報を発信する「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも毎日記事を配信中。

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KKコンビはやはり圧倒的?