――じゃ、写真に出逢うまではぼんやりとした中に住んでいたかんじですか?

「16才で高校にろう学校を選んで、手話と出会いました。目で話すことばに出会って。でも、まだ、自分のことばとしてなじまず……。もっといろんな人と出会いたい『音声がきれいに話せないとコミュニケーションできない』という自分のこりかたまった思いをほぐしたい、という願いがいつもありました。それでたまたま写真を通して、その願いをかなえるようになりました。そこからはクッキリとしてきましたね」

――写真を撮ることは、語り合い、自己表現、何かを見つけることなんでしょうか?

「このどれもあてはまるんですけども、ぼくが『いいなー』と思う写真はたいてい、『あ、こういうコミュニケーションもあるのか』という驚きをもたらしてくれた瞬間があります。『関わりの幅が広がった瞬間』を僕は必要としているのだなと思っています」

――関わりの幅が広がったのは具体的にどういう撮影だったか、1つ2つ例を教えてもらっていいですか?

「ALSの人の撮影で、眼の動きでPCに文字を入力してやりとりしたりとか、こどもが海で全身でたわむれている瞬間を見ながら、全身で感じることで世界を知っていったんだよなーということを思い出したりとか」

――それは聞こえなくても、写真を撮ることで世界を実感として感じ取ることができたということですか?

「はい」

 聞こえなくても、関わりの拡がりを、写真を撮ることで得た。触ること見ることなど全身で感じ取るコミュニケーションは、聞いて、分かったつもりになっている私たちよりずっと深いものだ。齋藤さんの写真を見ると、そう感じる。

■結婚、そして子どもが生まれ

 そして、齋藤さんはろう学校で出会った、同じく写真家の盛山麻奈美さんと結婚し、樹くんが産まれた。

 映画は斎藤さんと盛山さん、樹くんのあたりまえの生活を映し出していく。洗濯物を干したりとりこんだりたたんだり。斎藤さんが麻奈美さんの髪の毛を切ったり。料理を作り。飼っているカエルにエサをあげて。樹くんにおっぱいをあげて、おしめを変える。麻奈美さんもろう者だが、樹くんは耳が聞こえる。樹くんは音楽が大好きで、手拍子にあわせて足踏みして踊ったりもする。

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宇宙を思うように音楽を想う