齋藤さんの中で、声を発すること、「うた」に対する思いが徐々に変わってくる。

「発音することへの気持ちを、子どもがやわらげてくれたと思います」(齋藤さん)

 そして、ごく自然な形で齋藤さんに「うた」が産まれる。かつて音楽はただの振動で、発音することが悲しみだったのが樹くんと共に過ごすことで「うた」が湧き出てくる。

「音楽を想うことはずっとやっていました。宇宙を思うように、とほうもないものを眺める感じで音楽を考えてきてはいました。なんか楽しいんですよね。ただ、うたは『つくる』ものだと思っていて。それがこどもと接するうちに、まず、心からあふれるものがやっぱりあって。そのあふれるもののままに声に出して、またそれに子どもが反応してくれて、うれしくなって、また出していって、というくりかえしでいたら、自然と。思ってもなかったですね。うたはあふれ出るものだと知りました。今は、遠くにあるものだと思っていた“うた”というものが、自分の中にもあったんだという素朴な発見にしんしんとうれしいばかりなんです」(齋藤さん)

 しんしんとうれしいばかりのうたは、映画の中では音楽家の七尾旅人さんに「つくりものではない、本当のうたです」と言わしめる。

 齋藤さんにうたが生れたその瞬間、カメラのこちら側にいる河合さんも共に喜ぶ。河合さん自身、「うた」に対する思いが齋藤さんに依って変わったという。。

■誰の中にも「うた」はある

「僕にとって『うた』は自分を救ってきたものでした。思春期の頃、たくさんの『うた』を聞いて鬱々とした気持ちを晴らし、励ましてもらっていました。それが撮影をして齋藤さんと一緒に『うた』について考えるうちに、自分の中にも『うた』はあるし、自分も人に与えられるし、それは誰しもが持つ本能的な力なんだと思うようになりました」(河合さん)

 そう、「うた」は誰しにもある。決して“ろう”の齋藤さんだから特別に湧き出てきたのではなく、誰の中にも「うた」はあるのだ。

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