頭で理解しても、心の片隅に「でも、孫の顔は見たかった」という小さな願いがくすぶっていたりしますからね。

 でも、理解したいのにできない相手と、なんとかやっていけるとしたら、それは、「大人になった」ということだと僕は思っています。それは、別な言葉で言えば「成熟した」ということです。成熟した人間になるということは、理解しがたい相手と、とりあえず、なんとかやっていける能力を身につけた、ということです。

 自分を殺して相手を丸ごと受け入れたり、完全に拒否したりしないで、中途半端な関係のままで、相手とつながることができる能力のことです。

 そもそも、外交とかビジネスなんてのは、この「大人としての交渉力」が求められるのです。

「子供」はその反対の状態です。理解できないことは理解しようとしない。理解したくないことは理解しない。ただ自分の意見を押しつける。対立したらそれまで。

 オードリーさん。僕が何を言いたいか分かりますよね。残念ながら、あなたの母親は、歳を重ねても子供のままだということです。

 母親が大人なら、心の片隅に「孫が欲しい」と思いながらも、一緒に買い物や旅行に行けるのです。淋しさと同時に、親孝行してもらえる喜びを感じることができるのです。でも、子供は、とにかく、0か100かしかないのです。

 オードリーさんは、母親に比べて、ずっと大人です。100%、自分を受け入れてもらうことはあきらめている。もちろん、そうなったらとても幸せ。でも、そうはならないから、自分の願いは、「私は母と仲良くしたいだけなのです」と考える。とても素敵な大人の態度です。

 でも、母親は違います。

 カミングアウトから10年たっても、「いくつになっても適齢期だからね!」というLINEを送ってくるのは、悲しいことですが、とにかく現実から眼をそらそうという宗教的信念さえ感じます。

 たいていの相談の場合、僕は「とことん話し合うこと」を提案します。けれど、10年たっても、「適齢期」という言葉を使う母親とは、会話は成立しないんじゃないか、傷が深くなるだけなんじゃないかと心配してしまうのです。

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