何軒も飲み歩くとかではなくて、日をまたいでとりあえず、ずーっと永遠に「おめでとう、おめでとう」って感じ。夜が明けるまで? いや日が昇るまで、そんな誕生日会をしていたことを覚えているよ。

 そんな誕生日会をやっていた圓楽師匠の友達がまた俺をサポートしてくれたり、そういう人と人との縁っていうのをすごく感じるよね。昔は、俺もそうだったけど、若いとね、「俺なんかしょせんどうってことないんだよ」とか「俺なんか一匹狼だから」とかどこでも生きていけると思っていた。こうして70歳になると、つくづく思い知らされるよね、人と人との縁を。

 だから、若いときに俺も思ったことがあるけど、不幸をひとり背負っているとか、誰も手助けしてくれないと思って、世の中に背を向けて生きているかもしれないけど、誰かがどこかであんたを見ているからそれを忘れないでくれって。講演とかでも話すんだけど「誰かが必ずあんたを見ていてくれる」。ドラマのヒーロー・ヒロインじゃないけど、誰かが見ていてくれるっていう気持ちで自分を奮い立たせて頑張っていけば、そこでちょっと上がったときに自分をピックアップしてくれる人がいる。そういうことを思っていれば、自分が踏ん張れる心の糧になると思うよ。

 俺はプロレス時代の最初のころは、ただ、みんなでわっーと騒ぐっていう誕生日しかなかったんだけど、女房が、節目節目のときのお祝い事や行事をすごく大切にするんだ。誕生日のお祝いはもちろんやってくれて、ケーキにローソク立てたりだとか、「これは私からの誕生日プレゼントです」ってやってくれた。「おっ、俺にも家族ってものができたんだな」って思ったんだよね。誕生日っていうものが、なんか、俺に自覚を与えてくれた。しっかりしなくちゃいけないって思わせてくれたんだ。ケーキにローソクや家族からのプレゼントが、俺に火を付けたなということを覚えているよ。そういうふうにきちんとお祝いしてくれると、妙に自覚して、チャラチャラ飲みに行ってはいけないような気になったねー。うまいことしつけられましたよ!絶妙な調教師でしたね(笑)。

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亡くなったジャンボ鶴田に思いを馳せることも